「教会のお母さん」じゃありません。 〝女性牧師〟覆面座談会 教会の「#MeToo」 2019年2月21日

 牧師館から時折もれ聞こえる〝SOS〟のサインに耳を傾けてきた本紙編集部には、今も牧師や牧師の家族からの悲痛な声が寄せられる。特にこの間、世界的な広がりを見せた「#MeToo」の動きに触発された牧師のパートナー、「女性牧師」たちの声なき声があふれ出てきている。今回は、満を持して3人の女性(いずれも匿名)にそれぞれの置かれた現状を吐露していただいた。

参加者
Aさん 附帯施設で働きながら夫婦で牧会。
Bさん 無任所教師、福祉系の仕事に従事。
Cさん 母教会に赴任。夫婦で牧会。

「牧師夫人」「奥さん」を死語に…
理想の牧師像に応えようともがいて

――まずはそれぞれ、現在所属しておられる教派、教会の現状からお話しください。

 神学校を卒業してすぐに単身で担任牧師として奉仕していた時は「牧師先生」として扱われ、教団総会でも議決権を与えられていましたが、結婚後に赴任した今の教会では、牧師と「牧師夫人」がセットで、役員会にも出席できず発言権もないという状態です。いまだに一部の教会員からは「奥さん」とか「奥様」と呼ばれていて、とても違和感を覚えています。私も一人格であり、名前があるのにと。教会からは謝儀も一切出ていませんが、働きとしては多くの奉仕を任されていて、牧師夫人として当然と思われていることに疑問を持ちます。

 夫はもともと別の教会で働いていましたが、私が副牧師として赴任していた教会に後任で「主任牧師」として招聘されました。Aさんと同じく、それまでは「先生」と呼ばれていたのに、なぜか夫が来てからは「奥さん」と呼ばれるようになって。数年耐えてから、役員会で疑問を投げかけました。決して保守的な教会だったわけではなく、理解のある方だったと思いますが、「婦人会」は当然のようにありましたし、歴史ある教会だったので見えない縛りのようなものは多々ありました。今は教会を離れ、夫と私は別々の職場で働いています。

 私たちの教会では、20年以上も前から「牧師夫人」「婦人会」「兄弟姉妹」という言葉が死語です。前任の牧師から受洗し、独身時代から通っていた教会で牧会をしていることや、子どもがいないので単独の「ミニストリー」を担う伝道者として認識してもらえているという特殊な恵まれた背景はあるかもしれません。
 よく牧師のパートナーを「教会のお母さん」と捉える表現も見聞きしますが、育児をしていないのでお互い独自に伝道の働きを担っている感覚です。

――「牧師夫人」という呼称は減ってきたと思いますが、「婦人会」はまだ多数派では?

 もともとある教会員が「『婦人会』などという性別や年齢、既婚か未婚か、などのくくりで分け、さらに婦人会には食事を担当させるなどと決めるのは差別やセクハラに通じること」だと声を上げておられたおかげで、とりやめることができました。ちなみに「青年会」も「壮年会」もありません。今はそれぞれの「ミニストリー」ごとで、性別や世代と無関係に集まって活動しています(もちろん、例えば女性を対象とした集まり、中高生の集まりなど、それぞれのテーマやコンセプトによって自由に呼びかけて行われています)。

 着任当初は、「礼拝前に受付に立っていてほしい」とか「お茶を汲んでもてなしてほしい」とか、まさにCさんがおっしゃるような「教会のお母さん」的存在でいてほしいと暗に要求されました。若者がほとんどいない状況で、教会学校の中高科を引き継ぎ、活性化のために中高生の平日プログラムを始めたり、既存の婦人会(70~90代の固定メンバー)には入れない女性たちのための会も立ち上げたり、キャンプの企画など多岐に活動しているので、今までの「牧師夫人」とは違うということは伝わっていると思いますが、それでもやはり、ゴミ出しとか敷地内の掃除とか、要求はいろいろあります。
 若い人は増やしてほしいけれど、そればかりに力を注ぐと高齢者がすねてしまう。歴史の長さゆえ「教会はこうあるべき」「牧師夫人はこうあるべき」という昭和初期のイメージからいまだに抜け出せていません。Cさんのような教会がとてもうらやましく感じます。

 私の場合は逆に、いわゆる「牧師夫人」像を抱いて他教会から来られる方は失望するかもしれません。礼拝で新来者の紹介もしていません。キリスト教周辺でそれなりに名のある人が来られてもまったく紹介しないので、不愉快に思われる方はいるかもしれません。教会論の話になると思いますが、教会の内部をどうしたらいいかだけを考えていても、牧師と牧師夫人に関する有益な議論はできないのではないかと思います。

 私の教団は各個教会主義なので、「牧師夫人」のあり方があまりにも曖昧すぎます。人によって、自分は一信徒ですと表明する方もいます。補教師(洗礼式、聖餐式の聖礼典が執行できない)の資格も持っていないのに「牧師夫人」像を押し付けられて病んでしまう方もいますし、逆に神学校を出ていないのに教職として奉仕する方もいます。

 旧世代には理想の牧師像があるんですよね。何でも信徒の言うことを聞いてくれて、料理の上手な「いい奥さん」がいて……。

――Bさんが教会を辞された経緯を教えてください。

 実はつらすぎたせいか、一番たいへんだった時期の記憶がすっかり抜けているんです。いわゆる「モンスター」的な教会員が複数いて、私も一人の牧師なのに「育児に専念しろ」と再三言われました。子どもを保育園に預ければ「かわいそう」と言われ、体が弱いのは「親のせい」と言われ……。
 「奥さん」と呼ばれ、期待される役割を担うのも苦しく、正教師になれば状況も変わるのでは、と考えて試験を受けてみました。これでようやく夫と対等になれると思いましたし、2人とも聖餐式を執行できるなら、教会にとって悪い話ではないだろうと思って教会に報告したら、「なんで子育てがたいへんな時期にわざわざ受けたの?」という反応でした。しかも、「(男の)主任牧師からしか聖餐を受けたくない」とも言われ、ショックでした。結局「あれが足りない」「これが足りない」と言われ続け、やればやるほど疲弊していきました。
 平日、私は非常勤に出ていて、家事の時間が限られるため、祈祷会の日に布団を干していたら怒られて……。それを理由に辞任を求められたこともありました。

 私はもっぱら部屋干しです(笑)。牧師館の構造上、仕方ないのですが、牧師家庭の動向がすべて教会員に筒抜けなのはきついです。何曜日の何時ごろに出かけていたとか、すべて監視されているようで。もちろん、教会のすべての集会に参加義務が課せられていて、「牧師夫人」が祈祷会に出ないなどあり得ません。

 プライベートはないに等しいですよね。今は住居と職場が離れていて、タイムカードがあるだけでとても気分が良い。それだけでハッピーになれますね。

 同感です。子どもの教育費のために接客業のアルバイトをしていましたが、働いた分だけきちんと対価をいただけるし、お客様との会話や仕事仲間との話が本当に普通の会話だし、一般常識の通用する世界で気分転換にもなり、精神衛生上は良かったです。接するお客様は職種もさまざまで、社会の第一線で活躍している方たちで、学ぶことも多かったです。同時に、キリスト教界の方が非常識と思われることの多さを痛感し、教会組織って本当におかしいと思いました。

(全文は2月25日発売の「Ministry」40号に掲載)

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