【3.11後に「語るべき」言葉】 ②みこころの天になるごとく、 地にもなさせたまえ 濱野道雄(日本バプテスト連盟・宣教研究所所長=当時) Ministry2011年夏・10号

 未曾有の大震災から4ヶ月。今、いま、そして、これからの行く末について、私たちキリスト者が「語るべき」言葉は何か。被災地外から、模索を続けるキリスト者たちの発言を集めた。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ

濱野道雄(日本バプテスト連盟・宣教研究所所長=当時)

 言葉を失う。これが被災地に立った人々の実感ではないだろうか。「何が、なぜ起こっているのか分からない」ほどの災害なので、人を超える宗教的な言葉を人々は求める。そこで、石原慎太郎都知事の「津波は天罰」発言、天皇の「お言葉」「お祈り」へすがる思い、あるいは神なき時代の神である国家の下に一致団結しよう、といった言説も生まれる。それらを批判し、なおかつそれらを超える真の慰めの言葉を教会は持つ必要がある。 

 ただそのためには、まず安易な「答え」は無いと思い知ることだ。私自身、この間7回被災地を往復したが、言葉を失う思いを今も抱く。それで良いのだと思う。被災者の言葉を聞き、被災地を見ることから、「語るべき言葉」が生まれる。地震が起きた後2回目の日曜日、訪れた仙台で礼拝に出席した。牧師は神に祈った。「私たちはあなたのみ心が分かりません。どうしてこれほどまでの苦しみと悲しみと不安の出来事を、私たちに経験させるのでしょうか? あなたが真に愛なる方であり慈しみ深い方であることを、み力を持って私たちに示してください。み心を行ってください」。

 私は主の祈りを思った。「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」。まず私たちが「語るべき言葉」は、主の祈りだろう。「わが神、わが神、どうして」と今なお人々と共に叫ぶ主イエスが教えた、主の祈りだろう。その祈りの中に、私たちのなすべきこと、語るべき言葉が見え始める。震災が起こる前から教会の使命(ミッション・宣教)は「和解の務」であり、語るべき言葉は「和解の言葉」であったが(Ⅱコリント5・18、19)、それが具体的な形を取り始めるのだ。世界教会協議会(WCC)『和解のミニストリーとしての宣教』にもあるが、和解は宣教の目標であり、過程である。

 神と人の和解の言葉は何か。「神も仏もない」と思わされる状況で、いかに神義論が語られるのか。そこでは安易に「全能の神」を強調する栄光の神学に注意すべきだ。共に苦しむ神という十字架の神学が必要。 

 また、「なぜ自分だけが生きったのか」というサバイバー・ギルトを抱える人々は被災地の内外で多い。「あなたの命は神の目に尊い」という十字架の赦しと寄り添いの言葉が求められる。

 それと同時に、「このままでは終わらない」という終末論的希望の言葉が望まれる。その際、神の国は「来る」ものであり、人間が安易に「造り出せる」ものではないことに注意すべきだ。事故後も「人類の進歩を止めてはならない」ので、より強固な原発を造るべきという意見がある。しかし人間は命を差し置いても求めるべき未来の姿の「答え」を持ち合せてない。さらに、丁寧な葬儀が不可能な状況で、適切な弔いの言葉が宗教者に求められているが、これも終末論的希望の言葉であろう。

 人と人の和解の言葉も必要だ。被災者と支援者(実際は単純に分けられない)をつなぐ言葉が求められる。具体的な支援活動からその言葉が生まれ、その言葉から支援活動が力を得てゆく。 

 また和解のプロセスには「裁き」が含まれる。原発人災においては、加害者と被害者の関係を問う言葉が必要。直接の加害者である「原子力村」(電力会社と行政)の責任は免れない。それと区別しつつ、しかし同時に、「原発立地のしわ寄せの上に、成立する都市部の生活」という構図を転換してゆく、一人ひとりを問う言葉が必要(沖縄やグローバリゼーションの課題と同じ)。

 また、放射線への無知が福島差別を生むので、正しい知識の言葉が必要。さらに原子炉のアジア輸出など、金と軍事力確保のための原子力行政を問いなおす言葉が必要だろう。

 そして神と全被造物の和解の言葉。「災害も神の創造のみ業の一環」と言えるのか。津波も、地震も、自然とその現象は、神ではない。全被造物も完成されておらず、神との和解を待っている。さらに人と全被造物の和解。原発避難地域の家畜の殺処分、世界レベルの海洋汚染、大気汚染などの課題を見据える言葉が必要とされる。

 これらの言葉を語りつつ、支援活動を具体的に行いつつ、主の祈りを祈り続けたい。(はまの・みちお)

*西南学院大学神学部教授(2019年3月現在)

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