【東アジアのリアル】 「台湾のモーセ」高俊明を送る 高井ヘラー由紀 2019年3月11日

 元台湾基督長老教会総幹事の高俊明牧師(以下、敬称略)が、2月14日夕刻、台南市内の高齢者介護施設「德輝苑」にて、家族一同が見守る中、静かに旅立った。享年89歳。すでに高齢だったとはいえ、台湾教会関係者から敬愛され、台湾民主運動の精神的バックボーンでもあった高俊明逝去の知らせは、SNSを通じて瞬時に人々の知るところとなり、多方面の人々がその死を惜しんでいる。

 高俊明は日本基督教団、無教会、アシュラムなどの日本のキリスト者との親交も深かった。国民党政権によって投獄された時期に記された『獄中書簡』や、『サボテンと毛虫』などの詩集は、日本語にも翻訳され、「美しい日本に」と題する詩もある。かつて台湾を植民地として支配し悲劇をもたらした日本が、翻って「真理に忠節を尽くす」国となり、全世界、全人類にイエス・キリストの芳しい香りを放つ日が来るであろうことを、高俊明は信じ祈っていた。日本のキリスト者にとって深い励ましの詩である。

 高俊明は、台湾最初の信徒で最初の伝道者であった高長(1837~1912年)の孫にあたる。日本統治期の1930年台南に生まれ、小学校5年生で東京へ内地留学、青山学院中学部で学んだが、終戦と共に台湾に帰国した。1953年に台南神学院を卒業後、必ずしも強健な身体ではなかったが、山地原住民への巡回伝道を志願、1957年から1970年まで13年間、原住民族の神学校である玉山神学院の院長を務めている。

晩年の高俊明牧師と本人の直筆による詩編

 台湾基督長老教会総幹事在任中だった1970年代、長老教会はいわゆる「三大声明」(「国是声明」「私たちの呼びかけ」「人権宣言」)を発表、国民党政権の圧政に苦しむ台湾住民と共に歩む決意を固め、国家と対峙することを余儀なくされた。高俊明も、美麗島事件(1979年12月10日世界人権デーに雑誌『美麗島』関係者が高雄市で行った民主デモと治安部隊の衝突事件)の主犯者施明徳をかくまったかどで1980年より約4年間投獄され、以来、台湾における民主化運動のシンボルの一人となった。

 いたって物静かで深い霊性をたたえた人物であったが、今年1月には蔡英文総統に続投を思い留まるように勧告するなど、台湾の政治的動向には最後まで深い関心を寄せていた。

 告別礼拝は2月22日、本人が3年前に会場として選んでいたという高雄市の海埔教会で行われた。高俊明は「枕するところ」もなかったイエスに倣い、簡素かつ荘厳な礼拝を子どもたちに執り行ってほしいと、生前から希望していた。その遺志を尊重して長老教会総会葬は執り行われず、家族の手によるシンプルな告別礼拝だけが行われた。約1000人の出席者の中には元総統の陳水扁や現副総統ら、長老教会総会総幹事や議長もいたが、貴賓席はなく、あいさつや演説の類も献花もない、ただ神への感謝の礼拝が捧げられた。誠に最後までキリスト者の良き模範であった。

 奨励を担当した元台南神学院教授の郭栄敏は、高俊明を「台湾のモーセ」にたとえ、「アジアの孤児」(呉濁流による小説のタイトル)であった台湾を「新而獨立國家(新しい独立国家)」(1977年に台湾長老教会が発表した「人権宣言」中のキーワード)を望むことができるところまで導いたこと、「確かにモーセは偉大だったが、カナンに入ることは許されなかった。死後に記念館も建てられなかった。キリスト教に聖人はいない。神の僕がいるだけ」であることを、力強く語った。

 告別礼拝に出席した国際日語教会(台北)の臼杵翠牧師は、「一個人の葬儀というよりは、台湾民主化に貢献した大切な歴史的人物を送ったという感じ。礼拝の最後に『著來吟詩』(伝統的に長老教会の礼拝の頌栄として歌われてきた賛美歌)を歌った時、一つの時代の区切りを感じました。同時に郭栄敏牧師の奨励からは、高俊明牧師の意志を今後も受け継いでいくという気概を感じました」と語った。

高井ヘラー由紀
 たかい・ヘラー・ゆき 1969年ニューヨーク生まれ。国際基督教大学卒、同大学院博士後期課程修了。ハーバード神学大学院ポスト・ドクトラル・フェロー、恵泉女学園大学非常勤講師、明治学院大学非常勤講師を経て、台湾南神神学院助理教授。日本基督教団信徒派遣宣教師。

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