【宗教リテラシー向上委員会】 宗教報道の不都合な真実 ナセル永野 2019年4月1日

 「私は、ムスリムがイスラームの名によってイスラエル人や西洋人を攻撃したり傷つけたりしたことがない、などと言っているのではない。私が語っているのは、人がイスラームについてメディアを通して読んだり見たりすることのほとんどが、侵略行為はイスラームに由来するものであり、なぜなら〈イスラーム〉とはそういうものだからだと表象されている、ということである。その結果、現地の具体的なさまざまな状況は忘却される。言い換えれば、イスラームについて報道するということは、〈我々〉が何をしているかを曖昧にする一方で、このように欠陥だらけのムスリムやアラブ人とは何者であるかに脚光を当てる一面的な活動なのである」

 上記は1981年にエドワード・サイードが発表した『イスラム報道』の有名な、そして現在まで続くイスラムをめぐる報道の核心的な一節である。

 3月15日、ニュージーランドにある2カ所のモスクで礼拝中の人々に向けて銃が乱射され、50人が殺害される事件が発生した。多くの人がモスクに集まる金曜の集団礼拝のタイミングを狙った計画的な犯行だった。この様子がネット中継されており、惨劇の一部始終が世界中に拡散されたことでも大きな話題となった。

 私も事件直後、この動画をフェイスブックで視聴した。悲惨な犯行シーン以上に気になったのは、犯人が使用した銃器に書かれていた文字だ。動画を何度か見直したところ「KEBAB REMOVE」と書かれていることが分かった。「KEBAB」とはトルコなどイスラム圏の出身者がケバブ屋を営んでいることから派生した、ムスリムに向けた差別表現の一つだ。つまり「KEBAB REMOVE」は「銃によってムスリム排除する」というメッセージだろう。

 ジャシンダ・アーダーン首相は事件を「テロ」断定したにもかかわらず、日本の多くのメディアでは「銃乱射事件」という表現が主流だったことに気がついただろうか。犯行声明の中で犯人が「キリスト教の教会をモスクに改装した行為は神への冒涜だ」と主張していることから、犯人はキリスト教徒であることが濃厚だが「犯人はキリスト教徒」と言及したメディアはあっただろうか。

 犯人が影響を受けたとされている2017年にノルウェーで発生したテロ実行犯が「キリスト教文明を救う騎士団の指揮官」を自称していたが、なぜ「犯人はキリスト教原理主義者に影響を受けた」とは報じられないのか。

 ニュージーランドの事件から2日後、日本でも栃木の佐野マスジト(モスク)近郊でインドネシア人が何者かに刺される事件が発生した。あるメディアでは、この事件を「……関係者によると男性はイスラム教徒で、現場近くのモスクに向かう途中……」と報道した。なぜイスラム教徒と言う必要があるのだろうか。

 冒頭に紹介した『イスラム報道』が発表されてから30年以上が経った今でも、イスラムに関する報道のあり方は何も変わっていない。ニュージーランドでモスクを襲撃した犯人による「KEBAB REMOVE」のメッセージも、毎日のように流れる報道も「イスラムというよく分からない宗教と、それを信仰する自分とは違う人々」という無意識の大前提のもと、すべての原因を「イスラム」と無意識に処理してはいないだろうか。

 仮に私がハンドル操作を誤って単独で交通事故を起こした場合でも、このような報道がされるだろう。「イスラム教徒 交通事故か? テロの可能性も視野に入れて捜査中」

ナセル永野(日本人ムスリム)
 なせる・ながの 1984年、千葉県生まれ。大学・大学院とイスラム研究を行い2008年にイスラムへ入信。超宗教コミュニティラジオ「ピカステ」(http://pika.st)、宗教ワークショップグループ「WORKSHOPAID」(https://www.facebook.com/workshopaid)などの活動をとおして積極的に宗教間対話を行っている。

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