青学時代の礼拝〝実体験〟が生きる 映画『僕はイエス様が嫌い』 奥山大史監督インタビュー 2019年4月21日

 祖父母がクリスチャンという家庭に生まれ、幼稚園の途中から大学まで青山学院に縁のある奥山大史監督。自身の体験に基づいて撮影した映画『僕はイエス様が嫌い』がサンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞し、一躍注目を浴びた。弱冠22歳(大学在学中に制作)での受賞は史上最年少の快挙。タイトルに込めた思い、キリスト教学校での思い出などについて話を聞いた。

映画『僕はイエス様が嫌い』あらすじ

 祖母と一緒に暮らすために、東京から雪深い地方のミッション系の小学校へ転校することになった少年ユラ。日々の礼拝に戸惑うユラの前に現れたのは、小さな小さなイエス様だった。他の人には見えないけれど、願い事を必ず叶えてくれるイエス様を信じ始めたころ、ユラに大きな試練が降りかかる……。

キリスト教国での意外な評価

――英題を「JESUS」にした意図は?

 サンセバスチャン国際映画祭で公開できることになり、当初は「I hate Jesus」と考えたのですが、「僕」やイエス様の「様」にあるニュアンスがなくなって、ややロックな感じになってしまうと指摘されました。そうなると映画の雰囲気から離れて、意味が違ってしまうと思ったのは大きな理由です。

 洋画と邦画では、タイトルの意味合いが明確に違います。洋画では、一つのワードで作品や監督との関係性のようなものを見出し、考えてくれますが、邦画の場合、タイトルでお客さんを惹きつけ「観てみたい」と思わせなければなりません。

――キリスト教がベースにある海外で評価されたことは想定外?

 サンセバスチャン国際映画祭の開催地であるスペインは、キリスト教文化が根強い国ですが、そこで評価されたことは、やはり意外で驚いたというのが正直なところです。「キリスト教はこうじゃない」という批判もあるだろうと思っていました。もちろんキリスト教を主題にしていたわけではありませんが、考えるきっかけや、何かを感じてもらいたいなと。実際、毎週礼拝に行っているキリスト教徒の方も「(主人公と)同じように考えたことがあるし、今でも思うことがある」と言ってくれて、自分がやりたいと思っていたことを広く深く届けられる映画にできたと確信できました。

 アイルランドのダブリン国際映画祭で上映した際には、キリスト教に関する質問より、構図とか、芝居についての質問が出されて、単に作品として観てもらえたことが嬉しかったです。テーマがどうこうではなく、映画として、ストーリーとして、もっと言えばエンターテインメントとして喜んでもらえたと感じました。5月に公開する日本で、どんな反応があるのか楽しみにしています。

途中入園で抱いた違和感

――ご自身の実体験がベースになっている?

 僕は幼稚園の途中で青山学院の幼稚園に入ったので、最初はすごく違和感がありました。「みんな何しているの?」「何を信じてるの?」「イエス様って誰?」という感じでした。最初に違和感から始まったというのは、この作品にも通じる一番大きな実体験です。当初は友だちもできなかったし、ちょっと不気味でしたね。お昼になると鐘が鳴り響き、みんなで礼拝堂に走り、笑顔で主の祈りを唱えている。これは、ついていけるかなと思いました。でも、子どもは適応能力が高いので、1カ月もすればなじんで一緒に礼拝堂へ走っていました(笑)。聖書も覚えるし、賛美歌も歌えるようになるし。こういう小さいころの記憶は、なぜかすごく残っているんです。それが演出の際にも役立ちました。実際に主人公と同じような台詞を言ったわけではありませんが、当時、感じていたことは作品にもかなり反映されています。

――キリスト教学校に通っていて、大人が押し付けるキリスト教と、子どもたちが実際に捉えているキリスト教に隔たりがあると感じたことは?

 キリスト教を一種のルール、軸にしている学校というのは、何か大きな出来事が起きた時にも、キリスト教と結びつけますよね。普通に自分のこととしては捉えない。今は、それが間違いだとは思わないし、むしろ良いことだと思いますが。こういう思いは、キリスト教を信じている方も体験したことがあるのではないかと思います。

願い叶わずもがく少年

――「小さいイエス様」のアイデアについては?

 本当に「小さいイエス様」が見えていたということはありませんが、想像することは確かにありました。先生の話が長いので、子どもながらにいろいろ空想する時間は他の人より長かった気がします。ここでイエス様が突然現れて、牧師の言うことを「君の言っていることは全然違うよ」と言ってくれないかな、とか(笑)。企画の段階で、そういう子どものころの妄想を映像化できないかと考えました。子役が「信じる」という芝居をすることはかなり難しいと考えたのも、信仰の象徴である「小さいイエス様」を出そうと思いついたきっかけではあります。

――キリスト教関係者から「イエス様」の描き方について反応は?

 批判はありません。イエス様が絶対にしないだろうことを片っ端からしていくので、本当のイエスを描いたものではなく、あくまでユラの想像だということをすぐに理解してくれます。だからこそ、イエス様のシーンでは手を叩いて笑ってくれました。これまで、イエス様を小さく描くという手法はあまり見慣れていないと思うので、見てはいけないものを見てしまった面白さのような感覚はあったと思います。

 「小さいイエス様」はオリジナルのアイデアですが、妖精やぬいぐるみが自分にだけ話しかけてくるとか、周りの人には見えないけれど自分には見えるという話はよくありますよね。そういう表現を、あえて本来は遠いはずのテーマである宗教と結び付けたら面白いだろうなと思いました。

――「祈りを聞いてくれない」「神の沈黙」という点については?

 もちろん遠藤周作の『沈黙』と描いていることがある意味で似ているということは、撮る前から分かってはいました。海外での評論を読んでみると、「神の沈黙と少年の美しさを見事に対峙させた映画だ」などと書かれていたりしますが、企画した時からそういうことを考えていたわけではなく、実体験をもとに、願いが叶わないことに対してもがく少年の様子を撮りたいと思っただけなので、それがたまたま普遍的なテーマに行き着けたと考えています。

――子役への演技指導は?

 (メインの2人は)仲が良い設定だったので、実際に撮影前から仲良くなれるよう工夫をしていたのですが、正直不安でした。別荘で遊ぶ最初の撮影のために軽井沢に向かう途中、車がトラブルを起こしてかなり遅れたことがあって、2人はすでに撮影現場に着いていて、待っている間、カメラもない中でひたすらアスレチックで遊んで、それで一気に仲良くなって安心しました。このシーンが撮れたことで、2人の出会いのシーンもリアルに描けましたし、ある意味で「神がかっていた」と思います。もしあの時、車が順調だったら、また違った評価になっていたと思います。あとは、脚本を本人たちに見せず、その場で伝えるというやり方をしたのも大きいと思います。

 主人公のユラを演じる佐藤結良くんには「君はこれから、こういう体験をします」と手紙を書いたので、おおまかなストーリーは把握していますが、他の子たちは全体像を知りません。映画を観て初めて、どういう場面だったかを知るわけですが、それだけ自由に演じてもらえました。

――礼拝内での主の祈りは?

 主の祈りは、ユーチューブの動画を送って「覚えてきてね」とお願いしました。祈りを覚えるという作業というのは、信仰心を刺激しますよね。賛美歌をみんなで声をそろえて歌うとか、聖句を何も見ずに大きな声で唱えるとか、そういう行為を小さいころからしていると自然と神様を信じますし、だからこそ裏切られる。そんなことを改めて撮影中に思いました。

イエスの物語は基準にしていい

――ご自身も長い間、キリスト教に接して刷り込まれたと思いますが?

 学校とは別に、日曜日は教会にも行っていました。僕は洗礼を受けているわけではありませんが、家系的に今後、受ける可能性はありますし、それを拒むつもりもまったくありません。こんなタイトルの映画を作っておいてなんですが、何か自然とか、超越した存在はあるなと思っています。ただ、それが神様なのか、イエス様なのか、どんな形で――ということは考えていません。

 何かを信じることとか、哲学とか、自分が生活する上で基準となる人の行動は大切だと思っていて、その意味で新約聖書に書いてあるイエス様の物語は、自分が生きていく上である程度基準にしていいと思っています。キリスト教という一種の宗教を生活の拠り所にするつもりはないけれど、一つの概念というか「そういうもの」として信じているという感じです。

――キリスト教学校での思い出はありますか?

 小さいころからキリスト教の学校しか知らないので、他と比較ができませんが、礼拝の中で、クラスのみんなに向けて自分の思っているイエス様のこととか、何でも自由に話す機会がありました。部活のことや、ペットが死んだ時の気持ちとか、話しながら泣いちゃう子もいたり……。そういう体験はとても良かったです。

 あと、朝礼も礼拝と同じように黙祷から始まって最後は頌栄で終わるのですが、1日騒いできた中で、少しの間、冷静になるタイミングがあることはキリスト教でなくても、大事なことだと思います。1日を振り返ることができますし、達観できます。

――ありがとうございました。

 映画『僕はイエス様が嫌い』は5月31日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国順次ロードショー。

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