【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 「お先真っ暗」のその先に キョウカイホワイト 2019年5月11日

 最近、景気のいい話を聞いたことってありますか? 小生はここ数年、職場でも、趣味の集まりでも、もちろん教会でも、景気のいい話をほとんど聞いたことがありません。金がない、働き手が足りない、いくら残業しても仕事が片付かない、若い人がいない……。どこへ行っても同じような話ばかりです。元気がないのは教会だけではありません。ひねくれた言い方をするならば、元気がない社会に教会がある以上、元気がないのは健全(?)とも言えます。

 まあ、そう強がりを言ってみたところで、元気がない状態のままでいるのはなかなかしんどいものです。こういう時、人は自分が置かれている状況は思ったほど悪くないと思い込むか、あるいは目に見える何か、すぐに結果に結びつく何かにすがることが多いようです。このようなご時世に、目には見えない神の支配を信じると言ったところで、そうそう受け入れられないのは当たり前と言えば当たり前です。それでは、キリスト教の行く末はお先真っ暗なのでしょうか。小生はそうも思いません。なぜなら、お先真っ暗のところから生まれてきたのが聖書の宗教だからです。

 聖書が今のようなかたちで成立する上で、最も重要な出来事はバビロン捕囚でした。当時の戦争は人と人との戦いだけでなく、互いの国家神同士の戦いでもありました。敗者の神は勝者の国で見世物になるか、壊されるかでした。しかし、聖書の民はこの困難を乗り越えました。ふつうであれば亡国と共に消滅するはずの信仰は、むしろ困難によってさらに深められ、聖書という書物に結実したのです。

 バビロン捕囚に比べたら、私たちが直面している困難なんてまだかわいいものです。私たちは住む場所を追われたわけでも、異郷の地に強制連行されたわけでもありません。捕囚の地で人口を増やせと語るエレミヤのことば(エレミヤ書29:6)は、今の私たちへの語りかけでもあるでしょう。いやまあ、増やせていないからこその窮状ではありますが……。

 新約聖書にしたって、イエスが十字架上で死んでしまった時、使徒と呼ばれた人たちはみんな逃げてしまいました。その場に残り、復活したイエスに最初に出会ったのは女性たちでした。自分たちこそイエスに一番従ってきたぞ、と思いこんでいたおじさんたち(と言っても多分小生より若い!)は、自分たちの弱さ、愚かさ、醜さを骨身に染みて感じたことでしょうなぁ。この大失敗があってこそ、おじさんたちはまったく新しい歩みを始めることができたのです。

 もし私たちがお先真っ暗だと思っているなら、それは聖書から深く学んでいないからではないでしょうか。自分の力でお先真っ暗な世の中を変えられると思っているからではないでしょうか。自分たちの無力さを認めて神にすべてを委ねる時、私たちのものではない新しい力が与えられます。世間様からは愚か者と思われるでしょう。あるいは、結局のところ長いものに巻かれるだけになってしまうのかもしれません。それでもなお、世間様とはどこかが違う、塩気ある生き方をしたいと願います。塩が塩気を失っては何の役にも立ちません(マタイ5:13)。塩があってこそ、食事は、つまり社会全体は、おいしいものになるのです。

キョウカイホワイト
 白鳥 剛(しらとり・ごう) 通勤電車内での読書を愛するウンチク系ものしり博士。キョウカイジャー唯一の一般信徒。妻との生活を守るため、職場の理不尽に耐える姿はまさに社畜。武器:理屈/必殺技:おだやかな論破/弱点:ピーマン

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