【映画評】 『パピヨン』『COLD WAR あの歌、2つの心』『ホワイト・クロウ』『The Crossing ザ・クロッシング』 ここではない、どこかへ Ministry2019年6月・第41号

 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(コリント一10・13)

 主人公が実存を賭け逃避行を重ねる過程を描く映画が、この春いくつも同時に公開される。《ここではない、どこかへ》を映し出す風景の諸相を見ていこう。

「希望は捨てろ、お前たちはここで死ぬ」
仏領ギアナからベネズエラへ

 映画『パピヨン』は実在の人物アンリ・シャリエール、通称「パピヨン」の手記を原作とする。彼は囚人船でフランス本国から辺境の流刑地へと送られ、幾度も脱獄を試みる。舞台は、両大戦間期の仏領ギアナである。南米大陸カリブ海沿岸のこの土地は、地政学上あらゆる意味で特異な性格をもつ。ポルトガルにほぼ等しい広大な土地が、大陸を隔てた旧宗主国により植民地時代と変わらず運用されている例がまず他にない。また人口希少のため仏領インドシナのような独立運動も、プエルトリコのような自治権拡大の流れも今日まで生じていない。

 こうした土地への流刑は国際社会から忘却されることを意味したが、本作で再現描写される人権無視の凄絶環境が極めて今日性をもつのは、それがジョージ・W・ブッシュ時代に設置されたグアンタナモ湾収容キャンプの超法規性を嫌でも想起させるからだ。バラク・オバマが任期中の閉鎖を宣言しながら成し遂げられなかった同収容所の異様さは、イスラミックステート(IS)の登場や英国のEU離脱危機など既存の世界秩序が揺れ動く現代において、その象徴性をむしろ増している。

 反トランプ色の強いハリウッド映画界が、前回のオスカーを『ボヘミアン・ラプソディ』で受賞したラミ・マレックを登用した十全の態勢で、かつてのマッカーシズムにより映画界を追放された脚本家トランボによる作品のリメイクを打ち出した点もまた象徴的だ。本作序盤において、到着直後の囚人たちへ監獄所長は吐き捨てる。「ここは社会復帰の施設ではない。お前たちをここで破壊する。希望は捨てろ」と。史実のシャリエールは9回の脱獄を試み、監獄は今日閉鎖済みである。

「誰も信仰を捨てていない」
ポーランドからパリへ

 『COLD WAR あの歌、2つの心』の主人公、ピアニストのヴィクトルと歌手のズーラは、戦後直後のポーランドで出逢い恋に落ちる。共に舞踊団へ属すが、まだベルリンの壁が存在しない1952年、ヴィクトルは西側へ亡命する。しかしズーラは東側への残留を選ぶ。彼女はその後他の男と結婚するが、舞踊団がパリやユーゴスラビアへ訪問した際ヴィクトルとの逢瀬を重ねていく。本作はチトー大統領時のユーゴを描写する点でも稀少な一作だ。

 共産圏で宗教は一般に否定されたが、「故郷ではカトリック信仰を誰も捨てていない」(*補注=ローマ・カトリックとは教理を異にする)とズーラは語る。本作監督パヴェウ・パヴリコフスキは前作『イーダ』(本誌22号で紹介)において、60年代初頭のポーランドで修道女への道を選ぶ孤児の少女イーダを描いたが、中盤で「イーダの実親はユダヤ人」と明かす叔母と、本作におけるズーラとは人物造形に共鳴するものがある。

 映画終盤、ヴィクトルとズーラは雨ざらしの教会らしき石造りの廃墟で、2人だけの結婚式を挙げる。破壊され尽くしたその聖域の聖性を担保するものが何なのかを問いかけたまま映画は終幕へと至る。時代や国家に翻弄され続けた彼らの表情は、そこで穏やかに澄み切っている。ベルリンの壁が崩れる前に、2人はその生涯の幕を閉じる。

「彼はただ踊りたかったのだ」
ソヴィエトからロンドンへ

 『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』は、1961年にソ連から西側へ亡命したルドルフ・ヌレエフの半生を描く。バレエにおいて引き立て役だった男性ダンサーの地位に革命を起こしたヌレエフは、シベリア鉄道の車中で生まれた。タタール系バシキール共和国の首都ウファで育ち、レニングラード(現サンクトペテルブルク)で学び、キーロフ・バレエ団で踊るヌレエフの半生を再現する映像は逐一興味深い。

 本作監督を務めた名優レイフ・ファインズは、レニングラード時代の恩師として出演もこなし、KGBによる尋問場面でこう答える。「彼はただ踊りたかったのだ」と。自由に踊れないことが死を意味するヌレエフにとって、亡命は己を生かす唯一の道だった。

「戦争がなければ、どんな人生だったか」
上海から台湾へ

 『The Crossing ザ・クロッシング Part I』『同 Part Ⅱ』は、国共内戦期の中国における大陸本土と台湾島との両岸を舞台とする人間ドラマだ。 金城武が演じる台湾人医師ザークンは、日本の敗戦により離ればなれになった恋人・志村雅子(長澤まさみ)を想いつつ、大陸で共産革命へ身を投じた弟を探すため上海へと渡る。一方チャン・ツィイー扮するヒロイン于真は、兵士の恋人を探すため従軍看護師となり台湾への渡航を心に期し、食べてゆくため上海の路上で売春婦となる。当時を生きたすべての人々をこの台詞が代弁する。「戦争がなければ、どんな人生だったのか」

 日本軍の占領と撤退により租界(外国人居留地)が消滅したあとの上海外灘や、動乱期台湾のCG技術による細部描写は圧巻である。

 逃げることは、意志の弱さや躓きにも似てネガティヴに捉えられがちだ。しかし生きづらい環境から逃れ、己の居場所を見出すべく旅立つこと。その旅立ちを想えること。それらは人がもつ意志と想像力の、最良の一側面であるだろう。

 さて新作『パピヨン』で省かれ、スティーブ・マックィーンとダスティン・ホフマンが共演した1973年版『パピヨン』や原作には存在したものに、レプラ患者の村長との対峙場面や中国移民の使役場面、原住民女性との婚姻および離縁場面がある。レプラとは旧約聖書にも登場する「重い皮膚病」だが、これらの省略に神経症的な現代特有の病を見るのは行き過ぎだろうか。いずれにしても注意深く、まず見ること。それが未来への第一歩となるのは確かだ。(ライター 藤本徹)

『パピヨン』6月21日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー。
『COLD WAR あの歌、2つの心』6月28日よりヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開。
『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー中。
『The Crossing ザ・クロッシング Part I』『同 Part Ⅱ』6月7日(Part I)、6月14日(PartⅡ)シネマート新宿・心斎橋ほかにてロードショー。

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