【映画評】 『世界の涯ての鼓動』 交錯しつつ混じり合うことのない魂の孤独

 光とどかぬ大西洋の超深海層へ自ら潜り、生命の起源を探求する女性研究者。混迷極まるソマリアの死地で囚われ、スパイの身分を隠し原理主義の暴力と対峙する男。二人の邂逅は、それ自体が世界の神秘へと通じる隘路を予感させ刹那的で幻想詩的だ。ヴィム・ヴェンダース監督新作『世界の涯ての鼓動』では、交錯しつつ混じり合うことのない魂の孤独を、ジェームズ・マカヴォイとアリシア・ヴィキャンデルが凄演する。

 二人が出逢うのは、世俗の混沌と騒擾との一切から隔絶された、大西洋を望むノルマンディーの浜辺にたつ屋敷だ。白人社会の上層階級だけを客層とするその屋敷で、他所では結ばれるはずのない二人が運命的にめぐりあう。富と安全保障の特権的な集約を象徴するこの邂逅そのものが今日世界の縮図となり、二人は再会を期しつつも、生涯を賭ける場として選んだ戦地と深海とへ各々帰還する。映画は時間軸を操ることで、巷間の日常から切断された二つの世界と二人の逢瀬とを交互に描きだしていく。

 男が初めに登場するシーンもまた象徴的だ。彼は18~19世紀の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒによる風景画《海辺の修道士》を眺めている。荒涼とした砂浜に立つ黒僧衣の後ろ背を描くその構図は、映画の後半ソマリアで捕虜となる男の見る光景に重なり、ドイツロマン主義を代表する画家の愛国主義的・神秘主義的心性はまた、愚直に正義の執行を希求する男の姿勢に重なる。

 一方、女は潜水調査艇に乗り、海溝の奥底でマントル層へ肉迫し生物サンプルを採集する。6000m以深を示す語「超深海層」=”hadopelagic”の語源は、ギリシャ語のハデスすなわち「未知の世界」だ。「地獄」の意もあるこの語が示す、万年闇の底に生命の起源があると信じる女は語る。「私たちは闇を忘れようとする。ビーチにいることを幸運と考える」男はこれに対し、己の経験から実行制圧力による現実の構築性を説く。表面上はすれ違う二人の会話に齟齬が生じないのは、リアリティの裏面を絶えず捏造しつづける論理思考の徹底した虚構性を、どちらも肌身で感覚しているからだ。

 これに対し、ソマリアの地で男を捕える冷酷なジハード戦士が、二人の再会を阻む圧倒的な存在として登場する。そこでは信仰の強い力動が、知性に基づく二人の世界肯定に拮抗する。この構成の鮮やかさこそヴェンダースだ。

 さてヴィム・ヴェンダースといえば、古い映画ファンにはニュー・ジャーマン・シネマの旗手として、また以後の成熟期の名作『パリ、テキサス』や『ベルリン・天使の詩』の監督として記憶する者が多いだろう。近年ではキューバの老練音楽家たちを追う『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』以来、ドキュメンタリー分野でも舞踊家ピナ・バウシュや写真家セバスチャン・サルガドに迫るなど良作を撮り続けている。

 しかし近年のヴェンダース劇映画をめぐる評価は、あまり芳しいものではない。老境の衰えを嘆く声すら聞くが、そこには根本的な誤解がある。例えばヴェンダースが2011年以降連続的に発表している3D作品をめぐり、その手法的選択を正しく捉えた論評は稀だ。2016年作『アランフエスの麗しき日々』に至っては3Dによる一般上映自体が、日本国内では一度も為されなかった。この点はマーティン・スコセッシによる3Dへの挑戦にも似て、個別の表現を長年研ぎ澄ませた結果として到達した彼ら熟練の創り手たちの境地へ、世の観客・批評家らはまったく追いつけていないと言える。

 『パリ、テキサス』を筆頭にロードムービーの名手としても知られた彼の探求は、旅路の矛先を精神の内幕へと深めつつある。2011年作『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』以降の3D採用は、役者の顔面を大きく捉え、表情の皮膜の向こう側をもスクリーンへ現象させようとする試みだったが、本作『世界の涯ての鼓動』では3Dを採用せず、今年74歳となる彼のフィルモグラフィーはなお新章へ突入しつつある。
 
 ちなみにヴェンダースの現時点における最新作は、教皇フランシスコを扱う“Pope Francis: A Man of His Word”(2018年/日本公開未定)である。バチカンからの依頼で撮られ、教皇本人が正面からカメラを見据えて語る点で、他監督による過去の類似作群とは一線を画す映画となった。なおヴェンダース自身は、カトリックの家に育ち、近年プロテスタントへ転向したことが明かされている。

 ヴェンダース2015年作『誰のせいでもない』の雪深い地での内面への旅、『アランフエスの麗しき日々』におけるコロニアル様式の邸宅での時間への旅を経て、本作で試みられたのは世界の底への降下である。そこでは外面と内面との判別さえもが、すでに意味を失くしている。信念や主義により分断された世界の殺伐を越え、離れた者同士を再び結びつける働きゆえにこそ、愛は人を駆り立てる。これらすべてはひと連なりの、壮大な物語だ。(ライター 藤本徹)

8月2日、TOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開。

公式サイト:http://kodou-movie.jp/

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