【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 それ「でも」教会だ! キョウカイホワイト 2019年8月11日

 所属教会の大混乱に、ようやく収束の見込みが立ってきました。この間多くの教会員の意見を聞き続け、丁寧な説明を繰り返した役員会の中心メンバーの働きは文字通り献身的で、それに比べれば小生の力など微々たるものでした。みなさん仕事でもお家でも本当に忙しい方々ばかりなのに、よくぞここまでなさったものだとただただ頭が下がります。

 今回の大混乱に直面して、教会ってのはただの人間の集まりに過ぎないということを今さらながら学びました。少し前まで礼拝後の食事を並んで食べていた人たちが急によそよそしくなったり、礼拝に来なくなったりする。どちらが正しいか、あるいは間違っているかを考える前に、そもそも一体何が起きているのかすら分からないまま大勢の教会員が右往左往する。そんな中でも礼拝だけは何事もなかったかのように行われる。人間の集まりとはこういうものです。

 役員会の一員として、小生も何度か厳しい意見を言われたことがあります。大混乱を起こした時の役員ではなかったので、「そんなこと言われてもねぇ」という気持ちでしたが、とにかく相手の心の声を聞こうと努めました。何度か言われましたですねえ、「こんなことが教会で起こっていいんですか!」と。

 その時には言えませんでしたが、ここで書く分にはいいでしょうね。教会、関係ない! キリスト者であることは、人間として立派であることをまったく意味しません。むしろ、自分がもうどうにもしようがなくあかんたれであることを神によって知らされている、そしてそれでも神によって愛されている、それを知っている人の集まりに過ぎないんじゃないですかねえ。ああ、ようやく言えてせいせいした。この「教会なのに」「キリスト者なのに」という言い方の根底には、自分たちは正義に真理、ついでに真実の愛を知っていて、それを教えてあげるという崇高な使命があるというかなりズレた自己理解があります。

 この前提に立っているから、自分の思い通りにならない相手には「それでも教会か!牧師か! キリスト者か!」と言えるのでしょう。これだけ人数が少なくなって弱体化しているのに未だに「社会派」とか「福音派」とか言っていがみ合っているのも、どちらもこのズレた自己理解、はっきり言えば思い上がりに毒されているからです。

 だからと言って(日本の)キリスト教はダメだ、というのも早計でしょう。この思い上がりはキリスト者に特有のものではなく、人間誰にでもある傾向です。ただ、キリスト教に限らず、宗教「色」――宗教とは限りません――が強い時には、より強く出るとは言えます。それが科学崇拝だろうが排外主義だろうが反原発だろうが、自らの正義に酔う時に人は思い上がります。思い上がる人の声は、同調者にしか届きません。他者の心は動かせません。

 イエスの、そして聖書のメッセージは私たちのこのような過ちを鋭く描いています。イエスは十字架の死に至るまで自らを低くされたという使い古された表現は、この悲惨な現実をよくよく味わってこそ心に響きます。

 教会や社会の全体を見渡し、聞こえてくる大きな声だけを受け取るならば、私たちは絶望します。しかし、いつの世にも、イエスの声に聴き従う人たちがいます。いるから、教会はここまで続いてきたのです。大いに理屈と駄々をこねつつも、最後はイエスの呼びかけに従っていきませう!

キョウカイホワイト
 白鳥 剛(しらとり・ごう) 通勤電車内での読書を愛するウンチク系ものしり博士。キョウカイジャー唯一の一般信徒。妻との生活を守るため、職場の理不尽に耐える姿はまさに社畜。武器:理屈/必殺技:おだやかな論破/弱点:ピーマン

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