NCC総幹事ら「あいちトリエンナーレ2019」企画「表現の不自由展・その後」の中止受け愛知県知事へ要望書 2019年8月9日

 愛知県で3年に1度開催される現代アートの祭典「あいちトリエンナーレ2019」(同実行委員会主催)での企画「表現の不自由展・その後」が、「平和の少女像」の展示をめぐり抗議や脅迫が寄せられる騒動に発展し、中止に追い込まれたことを受けて、日本キリスト教協議会(NCC)は8月9日、金性済(キム・ソンジェ、総幹事)、北村恵子(NCC女性委員会委員長)、星出卓也(NCC靖国神社問題委員会委員長)の3氏による要望書「平和の少女像への不当な攻撃を恐れず『表現の不自由展その後』を再開してください」を愛知県知事宛に発表した。

 全文は以下の通り。


要 望 書

愛知県知事
大村秀章 様

「平和の少女像への不当な攻撃を恐れず「表現の不自由展その後」を再開してください

 名古屋市の愛知県美術館にて、75日間の予定で去る8月1日に開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」での企画「表現の不自由展・その後」が、1日開催からわずか3日間で打ち切られてしまったことは日本のみならず、世界を驚愕させる事件となっています。その驚愕の理由は、ただ開催の中止という事態よりも、その中止理由が、日本国憲法が保障する「表現の自由」や「検閲の禁止」、さらには市民の教育権に背反する出来事であったからです。抗議や脅迫的メールが数多く主催者に向けられたことも事実ですが、行政が「表現の自由」という価値を守り抜くために、その展示会を保護する対策を講じるよりも、むしろ「国民の感情」論を理由に「表現の自由」を、公権力を有する行政が自ら侵害するという結果となってしまったことは、大変残念なことであります。

 8月2日に展示会場に駆け付けた河村たかし名古屋市長は、「平和の少女像」を見た後、「日本人の、国民の心を踏みにじるもの」等の言及をして、展示中止と謝罪を主催者に求め、また日本維新の会の杉本和巳衆院議員からも「公的な施設が公的支援に支えられて行う催事として極めて不適切」との主張の下、展示の中止を求める要望書が出されました。

 大村知事が、これらの抗議に対して、「公権力を行使される方が、“この内容は良い、悪い”と言うのは、憲法第21条のいう検閲と取られてもしかたがない。」との見解を示されたことは、日本国憲法の理念からして真に適切なものでありました。しかしながら、抗議の電話やファックスが殺到し、更には「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」との放火によるテロ予告まがいの脅迫が行われたことに対して、安全面の配慮から中止の判断に至ったということは、結果的に脅迫やあらゆる圧力に屈したことになり、わたしたちはこの大村知事の決断を大変残念に思わずにおれません。

 わたしたちは、大村知事が今一度ご再考くださり、「表現の不自由展・その後」を再開することがこの平和を考える8月に大変ふさわしく、大きな意義があることと考えまして、この問題をめぐり、以下の通り、わたしたちの考えを述べさせていただき、展示の再開を心からお願いするものであります。

1.「平和の少女像」には苦難の中から湧き上がる平和の叫びが刻まれているのです

 「平和の少女像」は、敵意を煽るために創られたものではなく、肩に乗る鳩が表すように「平和と自由」を求める象徴です。特に日本軍による支配の下で性的な蹂躙を受けた少女たちの踏みにじられた人間の尊厳を思い、二度とこの様な悲惨な出来事を繰り返してはならないことを訴えるためのものです。少女像は、連行された少女たちの多くが10代だったことを象徴し、彼女たちの受けた苦しみを想起させ、背後にうつる老人の影は、長年の苦しみを耐え続けた彼女たちの生涯を想起させるものです。その中の「蝶」のモチーフは、現在も性被害に苦しむ女性たちに届くようにと、苦しみへの共感を表しています。隣に置かれた椅子は、ここに座り、深い想像力を働かせ、この少女の苦しみに寄り添いながら、平和の尊さをかみしめなおすことへの招きという意味が込められています。これらの平和と人間の尊厳を求めるメッセージを、「日本を辱めるもの」と受け取ることはむしろ良心と共感する感性を疑わせる主張です。傷める他者を思いやり、たえず自己の過ちを内省し、誠実に検証しようとする深い精神性と誠実な心をもって旧日本軍が行った人権侵害と性暴力の歴史的事実を隠蔽することなく直視し、その戦後責任をしっかりと自覚し、その謝罪と償い、そして和解と平和の構築のために最善を尽くして生きようとすることこそが、韓国・朝鮮が求め、世界が期待することであり、日本の社会が目指すべき姿ではないでしょうか。

2.表現の自由を、政治権力の検閲から守ることは、平和を守る大切な砦です

 このことは大村知事ご自身が河村市長に適切に述べていることであり、もはや申すまでもありませんが、時の権力が表現の自由や教育内容に介入しないよう憲法によって独立が守られることは非常に重要なことであります。教育行政は教育環境には責任を負いますが、教育内容には介入しないということは、かつての戦争の時代に起こったことへ逆戻りする道を阻む砦といえます。この制度的保障がひとたび壊れてしまうならば、時の権力にとって都合の悪いことを、市民はもはや発言できなくなり、または権力が推進したい内容に表現が限定されることとなります。それは、戦後民主主義の確立の道を歩んできた人類が第二次大戦期に起こった全体主義とファシズムの暗黒の歴史的教訓を通して学び、戦後二度と繰り返すまいと誓ったことであるはずなのです。この度のように、公権力を有する行政の長が会場に足を踏み入れ、「国民の心を踏みにじる」と自らが判断し、主催者に謝罪を要求し、中止を申し入れるという行為は、まさに公権力による検閲行為に相当すると言えます。わたしたちは、そのように大々的な検閲によって表現が制限されるというようなことはこの国に再び戦争への道を開かしめるものとして絶対に許してはならないと考えます。それはまさに、「表現の不自由展・その後」実行委員会が「戦後最大の検閲」と抗議している通りです。

 今回の事例は全世界が注目している事例です。名古屋市長を始め、国会議員、または官房長官からの圧力の中、愛知県が表現の自由を守るために良き決断をなし、表現の自由を権力から守り、展示の再開を行うことこそ、憲法の理念を守り、真の平和を求める勇気を与えることにほかなりません。

3.脅迫に屈する愛知県ではなく、暴力や圧力に対して人権を守る愛知県であってください

 脅迫文やテロの予告とも思える文章が寄せられたことに対して、市民の安全を配慮して中止を決断したということは、結果的に暴力や脅しが表現を妨害するものとして有効であると宣言したことになり、わたしたちは、それによって今後さらにこれに類する事態が再発していくことを危惧します。以後、同様の脅しを送り付ければ、同じ効果を得られるとの教訓を与える実例を愛知県が与えるべきではありません。幸い愛知県警が動いたことによって、脅迫文を送りつけた一人の容疑者は逮捕されたようです。これらの対応から、暴力や脅しには屈しない行政の毅然たる態度を社会に示すことは、むしろ市民や県民、そしてこの国の人々に自由と民主主義への信頼を保全していくこととなり、それはどれほど重要なことと言えるでしょうか。

 以上の理由から、「表現の不自由展・その後」の再開を心から望み、展示会再開に向けた、愛知県知事の勇気ある決断をここに願うものであります。

2019年8月9日

日本キリスト教協議会(NCC)総幹事 金 性済
同女性委員会 委員長 北村恵子
同靖国神社問題委員会 委員長 星出卓也


 

 日本YWCA の藤谷佐斗子会長、尾﨑裕美子総幹事は8月6日、愛知県の大村秀章知事と名古屋市の河村たかし市長に展示再開要望書を提出した。要望書では、河村氏の「平和の少女像」に関する発言や、同芸術祭のコンセプトに触れ、展示の中止をグローバリズムに対する「閉じて安心したい」という反動の行為だとして批判。アジア・太平洋地域における友好関係の形成のためにも、芸術作品を通した表現の自由を奪うべきでないと主張した。

 また、愛知宗教者平和の会も8月10日、同展の中止を「表現の自由」の侵害であるとして抗議声明を発表し、河村氏に真摯な回答を求めた。合わせて菅義偉官房長官の補助金交付差し止めを示唆する発言にも触れ、「検閲」や「介入」の可能性があったことを指摘。信仰に生きる宗教者として「信仰の自由」とともに「表現の自由」の重要性を訴えた。

 8月21日には、日本バプテスト連盟の加藤誠理事長も抗議声明を発表。同企画展は過去に抗議や忖度によって公立美術館などから排除された作品を集め、撤去・拒否された経緯とともに鑑賞することで、いまの日本の「表現の自由」について考えるきっかけになることを願い企画された展示であることを強調し、行政の長が「表現の自由」を侵害したことに対し強く抗議。行政が「表現の自由」への不当な介入や圧力から表現者を守り、展示が早期に再開されることを要望した。

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