【宗教リテラシー向上委員会】 再評価されるべきお寺合宿 池口龍法 2019年9月1日

 前にも書いたことがあるが、私はシングルファザーとして2人の小学生を育てている。住職であり、シングルファザー。忙しさが最も過酷を極めるのは、8月。そう、「お盆×夏休み」という恐怖のコラボである。お盆の檀家参りから帰ってきたら、子どものご飯を作り、夏休みの宿題をやるように急かし、寝静まったらわずかな時間でも原稿を書く。まったく気の抜けない夏の1カ月が、今年もなんとか終わった。

 そんな中、唯一、ほっこりできたのは、子どもたちが知恩院に2泊3日の研修合宿に行っていた期間だった。知恩院は浄土宗の総本山なので、全国各地から毎年約1,000人の小中学生がやってくる。これは珍しい事例ではなく、似たようなお寺サマーキャンプのプログラムは、各地の青年僧侶組織でもよく組まれている。私も小学生のころに、近くのお寺での合宿に参加したのを思い出す。

 お寺合宿の基本メニューは、早朝からの勤行、掃除、法話など、いわゆる修行体験だ。知恩院ではこれに加えて、比叡山延暦寺にも参拝し、山道を歩いて日本仏教を培ってきた祖師方の足跡をたどる時間もある。3日間というわずかな日数であるが、多感な子どもたちの心には大きな刺激を与えたことを、迎えに行った時の晴れやかな表情から感じた。

 さて、お寺合宿は、本来の意図からすれば、子どもの宗教的情操を涵養するためのプログラムである。しかしながら、この夏の実感を込めて言いたいのだが、ひとり親家庭や共働き家庭が当たり前の時代だから、極めて現代的なニーズに応える社会福祉プログラムになっている。営利を目的としないキャンプであるため参加費が抑えられている点も、何かにつけ出費がかさむ夏休みにはありがたい。

 今年は私の家庭が参加するので、せっかくならと思って、檀家さんや地域の人々に「一緒に行きませんか」と試しに声をかけた。すると、予想以上に評判がよかった。声をかけたのはわずか数名だったのに、口コミなどで話が広がって参加申し込みは10人にまで達した。もっと本格的に参加希望者を募っていたら、さらに増えていたのは間違いない。

 この手応えは私の子ども時代とまるで違う。かつては「お寺合宿に人が集まらない」というお坊さんのボヤキをよく聞いた。「お寺に泊まりに来ませんか?」と誘っても、「塾の夏期講習がありまして」と断られたというのである。闘争心を高めてガリガリ勉強して有名中学に入るのが、人生の成功への第一関門で、そこをクリアすれば有名大学、一流企業――そんな風潮があった。

 いまやそんな時代ではない。一流企業に勤めたところで、定年まで雇ってくれる保証もない。仕事は生き甲斐にはならないのである。では、生き甲斐はどう見つけるのか。学校でも習い事でも、心の芯から鍛え上げるような厳しい教育はなかなか期待できない。モヤッとした飢渇感があり、宗教に「生きるってなんでしょう」と眼差しを向ける。この意味でも、各地のお寺夏合宿が再評価されるべきフェーズだろう。

 合宿が終わった後には、「来年もぜひ!」「今から楽しみにしてます」と言われ、もう辞められない空気が漂っている。保護者からも、先に書いた「夏休みの育児負担の軽減」に加え、本来の「宗教による情操教育」まで喜んでもらえたようである。もちろん「生きるとは何か」が1回の合宿で分かったとは思えない。それでも、友だちと一緒にお寺で学んだ体験は、未来を照らす灯火になり得ると信じている。

池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)
 いけぐち・りゅうほう 1980年、兵庫県生まれ。京都大学大学院中退後、知恩院に奉職。2009年に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させ代表に就任、フリーマガジンの発行などに取り組む(~15年3月)。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)/趣味:クラシック音楽

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