【映画評】 『トールキン 旅のはじまり』 終わりが始まり Ministry 2019年9月・第42号

〝地面の穴のなかに、ひとりのホビットが住んでいました〟

 『ホビットの物語』は、ふと思いつかれたこの一文からすべてが始まったという。映画『トールキン 旅のはじまり』は、『ロード・オブ・ザ・リング』原作者J・R・Rトールキンの創作源を彼の前半生に探り、その幼少期から青年時代までの実像に迫る伝記映画だ。

 作家となって以後のトールキンをめぐっては、『ナルニア国物語』著者C・S・ルイスとの厚い親交や、彼に味方したアーサー・C・クラークとの論争など著名な逸話も少なくないが、トールキン当人の人となりが映像化されるケースはこれまで稀だった。というのも彼は実人生と作品を絡める伝記的な語りや、自作への聖書やキリスト信仰からの影響をめぐる質問を嫌ったためで、しかし作品世界の独立性を重要視するこうしたこだわりそのものが、作家として彼のとる姿勢を伝記的によく特徴づけるエピソードだ。

 このこだわりの起源を求めて映画はオックスフォード入学以前、10代半ばの寄宿舎学校時代にまで遡る。母の死により孤児となったトールキンは、紆余曲折あって名門キング・エドワード校へ転入するが、そこで出会った親友たちが魂の孤独から彼を救いあげる。各々詩・音楽・絵画が好きな3人にトールキンを加えた4人組は、バロウズ書店の喫茶コーナーをねぐらとし青春と夢を分かち合う。〝芸術で世界を変えるんだ〟と互いに誓うその絆は、大学進学以後も続いた。しかしこの幸福な時間を戦争が終わらせる。4人はそれぞれ第一次大戦の戦場へ向かうが2人は戦死を遂げ、1人は精神を病んでしまう。

 世界が大きく変わってしまったとき、芸術になにができるか。トールキンは問う。ただ一人五体満足で帰還したトールキンの元へ、死の直前に書かれた友からの手紙が届く。手紙にはこう記されていた。

〝僕らの物語に終わりは来ない。芸術の力を信じるんだ〟

 それは、もとより卓越した才能に導かれ架空の言語体系を自作するまでに及んだトールキンが、唯一無二の幻想作家として生きる覚悟を決めた瞬間であったろう。幼き日、夜ごと母にねだった寝物語。同じく孤児であり妻となる女性エディスとの逢瀬。激戦地ソンムでみた火煙の悪魔。それら全体験を注ぎ込んだ生涯の代表作『指輪物語』初巻の刊行は1954年であった。

 ちなみに母の没後、後見人となりトールキンを寄宿舎学校へ送り込んだ人物にフランシス・モーガン神父がいる。映画では戦争から帰還したトールキンに対し、「こうした時代だから、神話の言葉を使って話すようにしている」*と語る場面がある。大戦という惨劇に対する神父ゆえの労苦と諦念を込めたこの台詞は、のちのトールキンによる緻密かつ長大でまさに神話的といえる創作事業を連想させ、物語の心理的な着地を後押しする。

 こうした台詞の一つひとつ、衣装や背景設定の細部に至るまでよく作り込まれた本作の監督ドメ・カルコスキは、構想にあたり参考に観返した映画として『いまを生きる』と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を挙げた。いまこの瞬間を最大限に生きようという寄宿舎物の名作と、「昔々あるところに」という語りの伝統形式との接合を、他の誰でもなくトールキンを主人公にやってのけたこの達成は圧巻だ。(ライター 藤本徹)

*国内ロードショー版の日本語字幕ではこの箇所“words in mythology”が「ミサの言葉」と誤訳されており、前後の流れからこの台詞が浮いている。

8月30日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/tolkienmovie/

 

「Ministry」掲載号はこちら。

【Ministry】 鼎談「今ドキの神学校事情」/ルポ「たとえばこんな牧師のカタチ」 42号(2019年9月)

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