【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 情熱を失わずに キョウカイレッド 2019年9月21日

 教会に若者がいない。教会学校ができない。全国の教会から嘆きの声が聞こえる。ある教団では「2030年問題」が叫ばれているが、多くの教団教派が共有する課題だろう。少子高齢化、教職者不足、財政難などレッドの属する教派もまったく同じ問題を抱えている。

 そんな中、この夏十数年ぶりに教派の中高生キャンプを開催した。中高生、学生たち、スタッフを含めて20人ほどの小さなキャンプであったが、最高に楽しかった。教会から一人で参加してくれた中学生もいた。ゲームや賛美などを通して、緊張していた顔がだんだんとほぐれていくのがよく分かった。

 特別に真新しいプログラムはなかった。礼拝、ゲーム、バーベキュー、キャンプファイヤーなどサマーキャンプの定番プログラムだ。だけど、中高生たちも盛り上がり楽しかった。新鮮さを感じた。なぜか。そこに「情熱」があったからだと思う。

 「教師に重要なのは情熱だ! パッションだよ、パッション!」。俺がまだ学生だったころ、教会学校の教師たちの間でよく耳にした言葉だ。掛け声だけでなく実際にみんなよく働いた。学生だった俺は一所懸命に神のために働くことは何と楽しいことであり、喜びであるかを教会の奉仕を通して知った。その体験が牧師への道を志すきっかけとなった。

 キョウカイジャーとしての闘いは決して「楽しい」「嬉しい」だけではない。多くの恵みも当然あるが、「日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事」(Ⅱコリ11:28)も確かにあった。他のキョウカイジャーたちの闘いを見ても、「やっかい事」に翻弄されることの方が多い。教会の問題、課題は山積みで、どこから手をつけてよいのか途方に暮れる思いにさえなる。

 だが問題は、課題の多さではない。多くの課題の中で、なお私たちに宣教への情熱があるかが問題だ。情熱というと、とても主観的でもろくて危うく思う。私たちの情熱は時に「自己中心的正義」となり、人を裁き、殺すことさえする。また、私たちの情熱など、冷水を浴びせられれば簡単に失われてしまうようなものだ。しかし、たとえ私たちの情熱は不十分であったとしても、神は違う。神の情熱は、モーセに示されたように、燃え尽きることなく、消えることはない(出エジプト3:2)。

 情熱と訳される“Passion”は、キリストの「受難」をも意味する。主の十字架こそ、消えることのない神の愛のしるしだ。独り子をお与えになったほどの愛、その神の情熱こそ、私たちを突き動かす力であり、私たちの情熱の源泉だ。神様は今もこのどうしようもない世界であえぐ私たちを救い出そうと情熱を注ぎ続けておられる。神の愛の働きへと私たち一人ひとりを招いておられる。

 総督からキョウカイジャーとしての活動休止が命じられた。だが、勘違いしないでほしい。闘いはなお続くということだ。この世界には神と人を、人と人を分断する高い壁がそびえ立っている。傷つき、失われる魂がうめいている。時には、「受難」を引き受ける厳しい闘いでもあろう。だが、私は情熱をもって応えたいと思う。神がこの俺に永遠に消えることのない命を注いでくれたのだから。

 キョウカイジャーの仲間たちよ。情熱をもって闘うお前たちの姿に何度も励まされた。ありがとう! それぞれの星で、これからも闘い続けよう。

キョウカイレッド
 赤星雄馬(あかほし・ゆうま) 常に筋トレを欠かさない体育会系アスリート牧師。その体の大きさから態度のデカい奴だと見られるのが悩みの種。大食漢。仁義に厚い。武器:黄金バット/必殺技:み言葉千本ノック/弱点:食欲

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