【東アジアのリアル】 分岐点にある中国の教会 遠山 潔 2019年10月11日

 「子どもたちの信仰と将来が心配だ」――巷で耳にした、とあるキリスト者が披瀝した言葉だ。
 建国70周年を迎えた今、中国の家庭教会だけでなく、公認教会も一つの分岐点に差し掛かろうとしている。18歳以下の青少年に宗教的教育を施すことが法律で禁じられ、その施行と取り締まり、そして監視が強化されつつあるというのである。つまり、教会での「日曜学校」が禁じられたということになる。

 学校で使用する教科書からも「宗教色」を排除する動きがあることはすでに日本でも報道されている通りだ。「神さま」や「聖書」といった言葉が、外国の小説からも取り除かれているという。さらに、大学の教材として外国語の書物の使用を禁じようとする動きも活発化している。海外からのこうした思想的影響を一掃する意図が背後に見え隠れする。宗教的要素のすべてを青少年の環境から排除しようと躍起になっているのだ。

 申命記6章6~7節のみ言葉を、ユダヤ人はもちろん、キリスト教会も代々大切に実行してきた。信仰を次世代に継承することを重視し力を注いできた。中国の教会も同じである。だが、今、それが根底から揺らぎつつあるという。

 「当局は賢い。小さい時に何に触れるか、何を吸収するかで、その生涯に大きな影響を与えることを彼らは熟知している。だから宗教的な教育を取り締まって支配しようとするのだろう」。ある教会の指導者が吐露した。人間の教育心理を把捉している様子がうかがえる政策だとの認識である。

 世界観や価値観といった思想の重要性を掌握している点は鋭敏である。教会の未来を揺動させるかもしれない事態が今起こっている。だが、教会はそのようなことに屈する存在ではないことを勇敢にも示している。自らの信仰と信念を固持することによって、社会がより良い存在になることを固く信じている。前述の指導者をはじめ多くの若いリーダーたちは安易に諦めることはしない。「ここで妥協していてはいられない。試行錯誤しながらも、聖書の真理の言葉を小さい子どもたちにも伝えていこうと我々は努力している」。熱意をもって彼はそう話した。

 21世紀の半ばごろには、中国大陸も超高齢化社会を迎えていると推測される。教会が今、もし妥協し屈服してしまったら、そのころの中国はどうなっているのだろうか。子どもたちは、そしてその子どもたちは、一体どのような世界観のもとに生きているのだろうか。多くの懸念を抱きながらも、今、自分たちに可能なことは何か、それを探求しつつ、実行に移すたくましい姿が見受けられる。

 「我々にできること、それはみ言葉を宣べ伝え続けることだ。環境がいかなるものであろうとも、どんなに大きな試練を通らされたとしても、み言葉を伝えることだけは誰にも妨げることはできない」。教会の指導者たちの勇敢さを目の当たりにした瞬間であった。

 いつも感じることだが、彼らのこうした姿に私は鼓舞され、自らの背中を押される思いばかりがする。日本で我々は何が可能なのか、何をどう行うべきなのかと、考えざるを得ないのである。

遠山 潔
 とおやま・きよし 1974年千葉生まれ。中国での教会の発展と変遷に興味を持ち、約20年が経過。この間、さまざまな形で中国大陸事情についての研究に携わる。国内外で神学及び中国哲学を学び修士号を取得。現在博士課程在籍中。関心は主に中国の教会事情及び教会の神学発展についての諸問題。趣味は三国志を読むこと。

Photo by A.Z.

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