【映画】 ヤスミンのたしかな足跡 『細い目』インタビュー 主演/シャリファ・アマニ、音楽/ピート・テオ 2019年10月24日

 ヤスミン・アフマドが、まだ生きていたら。そう想わずにいられない。

 彼女が長編デビューを飾ってからわずか6年で夭折することがなければ、東南アジアの映画模様は今日とかなり様相を変えていたかもしれない。ロケハンまで終えていた日本舞台の新作『ワスレナグサ』が無事製作・公開されていれば、もう何年も前にヤスミン旋風が日本でもきっと巻き起こり、世界の知名度も今とは桁違いのものになっていただろう。

 マレーシア映画を代表する監督ヤスミン・アフマドによる2005年作、『細い目』。マレー系少女オーキッドと、華僑系少年ジェイソンとの瑞々しい初恋を描いた本作は、現代マレーシア社会の宗教文化混淆模様を直に捉えた作品として当地にて一世を風靡し彼女の名声を一気に高めると共に、マレーシア映画再生の嚆矢となった。この2019年秋、日本でもついに『細い目』が全国順次公開される。これに先立つ今夏、渋谷イメージフォーラムで開催されたヤスミン追悼10周年企画に併せ来日した、『細い目』主演のシャリファ・アマニと、ヤスミン作品の多くで音楽を手掛けたミュージシャンのピート・テオへインタビューを試みた。

 ヤスミン・アフマドの登場がマレーシア社会にとって衝撃的だったのは、それまでタブー視されていた民族・宗教間の差異や感情対立をめぐる表現を、恐れず映画全編の核へ据えた点にある。今回公開される『細い目』について言えば、原題“Sepet”の直訳である「細い目」とは、中国系マレーシア人の顔の特徴を指している。揶揄と受けとられかねないこの単語をタイトルとした本作は、しかし一部の反発を受けながらもその秀逸なストーリーテリングにより絶大な支持を集め、マレーシア映画の流れを変えたとまで言われる。

 さて本作の主人公であるマレー系少女を演じたシャリファ・アマニによれば、ヤスミンの撮影現場においてはしばしば“ヤスミンマジック”としか言い表せないミラクルな瞬間が訪れていたという。

 当人が早逝した今となっては半ば神話化された“ヤスミンマジック”を構成するエピソードの逐一に共通するのは、現場の一体感だ。磨き抜かれた脚本のもと、目配りの利いた撮影現場にあって、役者たちとスタッフたちが浸った高揚的で創造的なそのムードは、芸術家やアスリートが個人レベルで感覚する“ゾーン”の共有体験とも言い換えられる。そしてこの高揚は、劇場で映画を観ることを通し観客である私たちにもまた伝染する。ヤスミン映画の核心を為す愛と宥和へのしなやかな意志が、単なる物語上のテーマ設定を超えて多民族・多言語をバックグラウンドとする現場環境を、そして遠い異国の観客席をも包み込むその光景こそ“ヤスミンマジック”の正体なのだろう。

 “慈悲深く あわれみ深い アラーの名において”

 映画『細い目』は、冒頭部でコーランのこの一節がアラビア語で表示された画面に、詩を朗読する少年ジェイソンの声が重なることで幕を開ける。はじめに映し出されるのは、室内で寝そべる中年女性の姿だ。黒髪で目の細い女性は少年の母親であり、穏やかに息子の朗読へ耳を傾けている。中国語により一節が朗読された後、わが子への愛を詠うその詩は、意外にもインド・ベンガルの詩人タゴールの中国語訳であることが母子の会話から明かされる。少年の朗読は北京語で為される一方、母子の会話は広東語とマレー語および英語のちゃんぽんで交わされる。その直後、映像はもう一人の主人公オーキッドが白いヒジャブ(イスラーム文化圏におけるスカーフ)をまとい、コーランを開き祈りをささげる場面へと移る。日常礼拝を終え立ち上がった少女オーキッドは、衣装棚を開く。棚扉の裏を、金城武が写る大量の雑誌表紙やポスターが埋めている。そこに画角の外から母親の声が響く。母娘の会話もまた、マレー語と英語のちゃんぽんにより交わされる。

 開幕からわずか3分のこの冒頭部にも、ヤスミン映画のエッセンスは凝縮される。マレー系の少女が中華系スターのファンであることは当時“変わり種”とされていたが現実にはいたし(事実オーキッドを演じるシャリファ自身がそうだった)、ヒンドゥー現代文化を代表する大詩人の作に華僑系の母親が感応することだって当然ある。しかしこうした人種・宗教の壁を超える嗜好は当時“おかしなもの”とタブー視されており、ましてや所属集団を超えた恋愛を描く表現などあり得なかった。セックス描写や激しいアクションシーンがあるわけでもない本作は実際、マレーシア当局により6カ所もの検閲を受けた。またマレーシアにおいて異人種間の恋愛を描く映画は、マレーシア映画およびマレーシア音楽の巨匠P・ラムリーによる1968年の映画“Gerimis”を最後に『細い目』まで、半世紀ものあいだ存在しなかった。

 ヤスミン映画の多くに音楽に付したピート・テオは、自身の音楽活動に留まらず各分野でのプロデュースや後進の育成にも努め、いまや現代マレーシアンカルチャーの牽引者と言える存在だ。ヤスミンの生前も自身の音楽活動に忙しく、国を隔て夜中の3時に国際電話で話し合うのが日常という親しい間柄だった。そのピート・テオから聞いた出自をめぐる話が興味深い。

 マレーシアは周知のように、その国土を西のマレー半島側と東のボルネオ島(カリマンタン島)側とに大きく二分するが、政治・文化・経済の全領域において西側がその中心を占めている。また連邦立憲君主制を敷くマレーシアにおいて輪番制で選出される王の出身州も西のマレー半島側のみに限られ、東のボルネオ島マレーシア領を構成するサバ州およびサラワク州は王室をすでに持たない。ピート・テオはこの東側サバ州の出身であり、長じて住居をマレー半島へと移した際には、実に2年にもわたってカルチャーショックに苦しんだという。端的に言えばそれは、マレー半島側でタブー視されていた文化的断絶の多くが国民国家の統制上から要請された半ば政治的捏造によるもので、対立の土壌が薄いサバ出身の彼には理解が困難だったことに起因する。この出自に由来する強い越境性が、ヤスミンの抱える“愛と宥和へのしなやかな意志”と深く共鳴したことは想像に難くない。

 またピート・テオはクリスチャン・ファミリーの出身で、母は敬虔なプロテスタントであった。成人まで日常的に教会へ通っていた習慣が、現在の音楽性に深く影響することは、曲がもつ精神性やアカペラとの親和性など多方面でよく指摘されるという。現在は礼拝の習慣から遠のきはしたものの、表面上の信仰の差異を超えた深い宗教性に対する畏敬の念は保ち続けている。

 インタビューの最中も彼の口からは、神の名づけを超えた“Love of God”というフレーズを幾度か耳にした。またシャリファ・アマニが折にふれつぶやく“インシャラー(神の御心のままに)”の語に、ピート・テオが深くうなずく場面も幾度か目にした。こうした彼らの何気ない素振りそのものに、キリスト教やイスラーム、ヒンドゥーや仏教などといった宗教の別を超えて近代以前からマレー文化が育んできた、多文化多宗教の混淆を直に感覚させられる。それはまた、この数年タイに居する筆者自身が幾度か滞在し経験したマレーシア両岸の穏和な空気にも通じ、懐かしくも好ましく感じられた。

 シャリファ・アマニは、複数のヤスミン映画におけるオーキッド役を含めその風貌からマレー系のムスリマ(イスラームの女性信徒)を演じることが多いが、華僑系の祖母とインド系の祖父をもつ。そうした混血模様は珍しいものでなく、むしろマレーシアに留まらずインドシナ全域において実態的にはごく普通の光景だ。にもかかわらず、社会の対立や紛争が毎度のように民族や宗教の違いへと人工的に回収される光景もまた日常的だ。ピートとシャリファがそろって強調したのは、一見穏和なヤスミン・アフマドの製作姿勢の奥底に潜む、現行の政治的抑圧やタブーに対する烈しくも戦闘的な情熱だった。

 マレー系優遇策をとるマレーシアへの華僑社会の憂慮からかつてのシンガポール独立は為され、今日でもマレー半島側に対抗する形で隣国インドネシアやフィリピン島嶼部とも結びつくサバ・サラワク州でのイスラーム過激派の台頭が報じられるなど、社会の分離と対立醸成への流れは常に絶えない。それはヤスミン・アフマドが格闘し続けた対象であり、ヤスミン亡き後もその姿勢はたしかに受け継がれている。現にシャリファ・アマニを含むアマニ4姉妹はいずれもヤスミン映画が機縁で映画業界へ身を投じたし、2000年代後半から台頭してきた若手マレーシア人監督には、ホー・ユーハン(何宇恆)やエドモンド・ヨウ(杨毅恒)、リュー・センタッ(劉城達)やタン・チュイムイ(陳翠梅)、ナム・ロン(南农)などかつてヤスミン映画に携わり、あるいは強く感化された経験を公言する者が少なくない。*

 2017年にようやく日本公開された、ヤスミン監督2009年の遺作『タレンタイム~優しい歌』をめぐる本紙記事で筆者は、「鑑賞後は少なくない人が生涯の一作に数えあげる、奇跡の傑作」とかつて評した。

 過去記事転載「霊性と情熱」: https://note.mu/pherim/n/n5abe0e209b0e

 この評価は、2年経った今でもまったく揺るがない。不朽の名作としては現状あまりにも低い知名度を今後上げることはあっても、その逆は考えがたい。

 この2019年初夏には、日本の国際交流基金アジアセンター主催で《東南アジア映画の巨匠たち》と題された上映特集企画が東京にて催され、東南アジア各国を代表する現役監督たちがインドネシア・シンガポール・フィリピンなどから招聘され、続々と登壇した。私事ながら関連の出版物(『躍動する東南アジア映画~多文化・越境・連帯~』論創社)へ寄稿したためもあり、筆者は現場へ足しげく出入りしていた。中国への香港返還により往時の輝きと影響力を香港映画が失う一方で、韓国娯楽産業が東南アジアへ旺盛な浸透を見せるなど、21世紀今日の社会は変化に目まぐるしい。またかつて発展途上国と呼ばれた国々の経済的高揚や、ネットの伸張による映画業界の構造転換が進む最中、世界の主要国際映画祭において一部の国の映画だけが注目を集める時代はすでに終わった。タイやカンボジアなど各国の秀作映画も上映された《東南アジア映画の巨匠たち》の会場へ集うエリック・クーやブリランテ・メンドーサ、ガリン・ヌグロホなど錚々たる面々を目の前にして、筆者はやはりこう想像せずにはいられなかった。

 ヤスミン・アフマドがまだ生きていたら、と。

*ここに挙げた若手監督らの多くが参加するヤスミン・アフマド追悼企画短編集成『15マレーシア』では、ヤスミン映画常連のベテラン俳優たちも出演し、ヤスミンファミリーの豊かな将来性を感じられる。個別の詳細情報を含め、ネット(http://15malaysia.com/)で全編公開されている。

(ライター 藤本徹、撮影 鈴木ヨシアキ)

『細い目』 “Sepet”
公式サイト:http://moviola.jp/hosoime/
アップリンク吉祥寺、アップリンク渋谷ほか全国順次公開中。

監督・脚本:ヤスミン・アフマド
撮影:キョン・ロウ
製作:ロスナ・カシム、エリナ・シュクリ
出演:シャリファ・アマニ、ン・チューセン、ライナス・チャン、タン・メイ・リンほか
Sepet|2004|マレーシア|カラー|107分|英語、マレー語、広東語、福建語、北京語ほか
配給:ムヴィオラ

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