【意見広告】 「本当にこれでいいのですか?」 北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会 2019年11月21日

■知っていますか? 教師免職処分事件

 2010 年1月、日本基督教団の教師委員会は、当時、神奈川教区の紅葉坂教会の牧師であった北村慈郎教師に対して免職を決定しました。処分の理由は「未受洗者への配餐を行った」というものでした。北村牧師はこの処分を不服として山北宣久教団総会議長(当時)に上告を申し立て、一般の高等裁判所にあたる審判委員会(石橋秀雄委員長他4名)が組織されました。この審判委員選任も、北村牧師を告発した信徒常議員当事者たちも加わっての不当なものでした。この審判委員会は北村牧師から一度も事情を聞くこともなく、3対2によって、上告は退けられ、免職が決定した事件です。

 開かれた聖餐は山北議長や教師委員会が言うように本当に不法なのでしょうか?

 日本基督教団には、憲法に当たる教憲と一般法に当たる教規というものがありますが、そこには洗礼を受けていないものが、聖餐にあずかってはいけませんという明確な規定はありません。確かに教団の定める各教会の規則の雛形(準則)では、「聖餐にはバプテスマを受けた信徒があずかるものとする」(第8 条①)になっています。これを多くの教会は利用していますが、そうでない教会も多数あります。

 なぜでしょうか? それは日本基督教団の成り立ちが関係しています。第二次世界大戦の中で成立した日本基督教団は、時の政府の政策によって34 の教派が合同して生まれた教団です。当時、教団に加わった教会の中には、洗礼と聖餐がない教派も含まれていました。聖餐の問題だけではなく、統一した見解がない事柄も多数ありました。それらの多様性をお互いに認めつつ、一つの教会として歩もうとしてきたのが、合同教会としての日本基督教団の歩みです。

 聖餐の問題も、1960 年代から1990 年代までは、世界の教会の新しい動きの中で、教団でも、活発に議論してきた問題ですが、また結論の出ていない問題なのです。これを無理やり、数という力で結論を出すことは、問題を解決するのではなく、かえって解決を難しくすることです。

 教団の信仰告白制定(1954 年)のときに、信条の「解釈相互間の争点については、法解釈の前に、必ず神学的論議の領域が設定されなければならない」と付帯決議をしています。今回の北村牧師の免職決定は、「神学的論議」どころか、議論を封殺するような仕方で行われ、教団の歴史から見ても異常なことです。

 今回、問題なのは処分ありきのパワハラともいうべき手法です。問題の発端は2007 年の常議員会での北村牧師の発題でした。記録を取らない懇談会という約束でしたが、当時の山北議長は北村牧師の発言が過誤できないと約束を反古にし、「教師退任勧告」を決定するという信じられない行為に出ました。また教団内の法の番人ともいうべき信仰職制委員会が、執行部に都合の良いように解釈に変えたり、戒規を取り扱う教師委員会がそれに基づいて、戒規申立人の内規を一時的に「誰でも申し立てできる」と変更し、北村牧師への戒規申し立てを受け付け、そして処分が決定すると内規を元に戻したりしました(詳しくはパンフレット「教師免職処分の実態」をご覧ください)。これらは明らかに個人をターゲットとしたら組織的「いじめ」であり、教会としてはあってはならないことです。

 北村牧師免職処分の本質は、聖餐の問題ではありません。自分と考えの違うもの、意見が対立するもの、自分達に従わないものを排除するという教会のあり方の問題です。日本基督教団のみならず、教会はそのようなものであってはなりません。イエス・キリストは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 」(マタイ11:38)とおっしゃっているように、教会は一部の人たちのものではなく、誰にでもひかれたものです。

■詳しいことは、パンフレットで

北村牧師免職処分問題の経緯と解説をした「教師免職処分の実態」(北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会編)を無料で差し上げます。 
希望部数を明記の上、事務局(下記)までお申し込みください。

■入会等のお問い合わせは…

北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会   
事務局長 久保博夫

〒242-0022 神奈川県大和市柳橋3-3-22 久保方  
  ℡ 090-2669-4219 メール:h2kubo@jcom.home.ne.jp   
 郵便振替口座00270-4-116840「北村慈郎牧師を支援する会」

下記の「宣言」への賛同者は、今後も継続して募っていきますので、賛同してくださる方は、支援会連絡先までご連絡くださるようお願いいたします。

「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる宣言」
(2019年9月30日現在、賛同者3,942名)

 私たちは歴史を導き給うイエス・キリストの主権を信じ、「戦争責任告白」を明らかにした日本基督教団として、現在の急速に右傾化する日本国家のあり方に深い憂慮を覚えるものであります。この時に当たり、日本基督教団現執行部が歴史的な教会の責任を無視するかのごとく、会議制の無視と権威主義的な強権発揮により、北村慈郎牧師との充分な対話をすることなく、免職処分に至ったことは誠に遺憾と言わざるを得ません。北村牧師が手続きの不当を人権問題として提訴した裁判は、残念ながら内容審議に至らず最高裁の上告棄却という結果で終了しました。私たちはこのことを、事柄を徹底して教会の問題として自主的に解決せよとの促しとして積極的に受け止め、ここに「ひらかれた合同教会としての教団」をつくる決意を新たにしました。まず、何よりも処分の撤回と対話を求めます。

 日本基督教団は歴史の中に建てられた教会です。「教団信仰告白」及び「教憲教規」は、教団成立の歴史的経過の中で定められたもので、「絶対的な」信仰基準として閉ざされたものではありません。「解釈相互間の争点については、法的処置の前に、必ず神学的論議の領域が設定されねばならない」(1954年10月26~29日開催第8回教団総会「信仰告白制定特別委員会報告」)と歴史的発言にあるように、信仰的対話に開かれたものです。

 北村牧師の信仰的選択の背景には、釡ヶ崎や山谷と同じ寄せ場である「寿地区」に象徴される権力や社会構造によって虐げられた人々が存在し、その地域への福音宣教を使命とする教会の決断があります。そこでは「聖餐」のあり方も問い直されるべき重要課題であり、法的処置の前にまず神学的・教会的討論に開かれるべき現代的な課題です。

 それは同時に全国各地の地域各個教会の課題でもあります。その各個教会のかなりの部分は、国家が戦争協力を強いるための「宗教団体法」による教団統合以前の教派の諸伝統を負っており、またはじめから合同教会として教会形成をしてきている教会もあります。ここに教団が今なお形成途上の「合同教会」である所以があります。そこでは、開かれた対話こそが、教団を「教会」たらしめます。また、教団成立を含め「戦争協力」という過去の責任をふりかえり、戦争体制がつくられつつある現在への責任を受け止めるため、「戦争責任告白」は今改めて取り上げるべき対話のテーマです。

 さらに、「本土」と「沖縄」の関係史における構造的差別の中で、私たちの教団もまた、「沖縄教区との断絶」という痛恨の事態を作り出しており、この現状を打開するための開かれた対話が何よりも必要となっています。

 私たちは、教団の会議制がその内実を失って硬直したままである現在、教団の法的構成員であるからこそ、それに先立って、信仰の召命に基づき「キリストの前での自分」に立ち返り、「ひらかれた合同教会としての教団」をつくる教会的責任を負っています。

この責任を果たすために、以下5項目を掲げて、ここに「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる宣言」をいたします。

1、 北村慈郎牧師の免職処分の即時撤回と教団教師としての復権を求めます。
2、 聖餐についての論議の場が設定されることを求めます。
3、 「戦責告白」の教団史における意義を踏まえ、歴史に向かい合う教団となることを求めます。    
4、 沖縄教区に対する謝罪と関係回復への具体的作業を求めます。
5、 一方的な「公同教会」の主張を再考して「合同教会」の形成を求めます。

2015年4月18日 
北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会 
代表  関田寛雄 

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