【伝道宣隊キョウカイジャー+α】 心の中の宗教改革 キョウカイバイオレット 2019年12月1日

 救急外来にはさまざまな患者がやってくる。ある夜、腕をざっくり切られた女性が歩いてやってきた。スタッフは受付を省略して急いで処置を始めた。しかし血まみれのタオルを押さえる彼女の表情は、どこか虚ろだ。付き添いの男性も他人事のような無表情。そもそもこの怪我でのんびり歩いてきたのかと、初めから怪しいケースだった。事情を聞いても話が曖昧で、どうもつじつまが合わない。最終的に、その付き添いの男性が加害者だと判明した。繰り返しDVを受けてきた彼女は、刃物で切られてなお彼氏をかばおうとしたのだ。病院で警察を呼ぶことになった。

 助けられないケースもある。ある日曜の朝、高齢女性が救急車で運ばれてきた。飛び降り自殺で、すでにこときれていた。独居で呼ぶべき家族は一人もいなかった。日曜の朝、クリスチャンの皆さんは礼拝の準備で忙しいことだろう。そんな朝に彼女は自ら命を断った。理由は分からない。少なくとも教会で声高に語られる「希望」は、彼女には届かなかった。

 またある厳寒の朝はホームレスの男性が凍死して、またある夜は若い女性が高層階から身投げして、それぞれ物言わぬ骸となって運ばれてきた。

 このような悲惨なケースは枚挙にいとまがない。たくさんの不幸や悲劇が日々、どこかで起きている。医療者は命を救うべき存在だが、実に無力だ。彼らの痛みや死は「自己責任」なのか。暴力を振るわれたり、住む家がなかったり、孤独にさいなまれて希望をなくしたりするのは、彼ら自身の落ち度なのか。止むを得ない事情、どうにも抗えない事情はそこになかったのか。

 キリスト教の教える「愛」とは何だろう。それは苦しむ人、悩む人に手を差し伸べることではないか。彼らがそれ以上痛めつけられる前に、殺される前に、自ら死を選ぶ前に、異変に気づいて介入することではないか。「自己責任」などと見捨てるのでなく、むしろ彼らの痛みを代弁し、その権利を守り、加害者の責を追及することではないか。

 教会の中にもたくさんの被害者がいる。人知れず虐げられ、差別され、搾取され、排除されてきた人々が。声を上げられず、黙殺されてきた被害者は多い。見えないだけだ。私はそんな声なき声を代弁する者でありたい。キョウカイジャーの一員となったのもそのためだ。

 キョウカイジャーとしての活動は、これをもって終わる。しかし、代弁者としての活動はこれからも続くだろう。いや誰かが続けなければならない。「批判したって始まらない」「文句を言うだけで愛がない」などの逆風は絶えず吹いている。しかしその逆風に、苦しむ人々の声をかき消させてはならない。

 批判精神のないところに改善はない。そして改善がなければ衰退していくのは目に見えている。そもそも批判精神がなければキリスト教は生まれず、宗教改革でプロテスタントも生まれなかった。とはいえ、私は2度目の宗教改革を起こしたいのではない。むしろ制度的な改革には意味がないとさえ思っている。必要なのはキリスト者一人ひとりの、これを読んでいる読者一人ひとりの、「心の中の改革」だ。そしてそのためには、現場で何が起きているのか知らせなければならない。

 しかしながら、最後くらいは批判でなく明るい言葉で閉じたい。皆さん、どうぞ良いクリスマスを。メリークリスマス。

キョウカイバイオレット
 紫乃森ゲール(しのもり・げーる) 医療現場で傷つき病める人々を支え、代弁者として立つ看護系はぐれキリスト者。あらゆる差別、無理解、誤解と日々戦う。冷静と情熱の中間くらい。ツンデレ。武器:痛くない注射/必殺技:ナイチンゲール型四の字固め/弱点:パクチー

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