中村哲さんが派遣医師として勤務 日本キリスト教海外医療協力会が会長メッセージ 2019年12月6日

 アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードで銃撃を受け死亡した中村哲さんが、1984~90年、「ペシャワール・クリスチャン・ホスピタル」の派遣医師として勤務していた日本キリスト教海外医療協力会(JOCS、畑野研太郎会長)は12月6日、「中村哲医師の御逝去に関する会長メッセージ」を発表した。

 畑野氏は、「海外医療を志す同志として、また同じハンセン病医療を目指すものとして、ワンケオ(タイ国)の小さなバンガローで寝起きを共にし、様々に話し合う機会」があったと懐古。以来32年間、「尊敬する先立ちとして、本当に人々の必要に応える働きを精力的に続ける尊敬すべき先立ちとして過ごしてくださいましたこと」に謝意を示した上で、「この世では、もうあのように親しくお話をすることができないと思いますと、復活のときが来ることを信じているキリスト者ではあるものの、本当にさびしさに打ちのめされる思い」と吐露。「働きの場は違っても、彼の目指した『真に平和な世界』『みんなで生きる世界』の実現に向かって、これからも小さな歩みを続けていくことを願い祈っております」と結んでいる。

 全文は以下の通り。


中村哲医師の御逝去に関する会長メッセージ

 中村哲医師の御逝去を心から悼み、み霊の平安をお祈りするとともに、ご家族、ご友人、そしてペシャワール会の皆様にお悔やみを申し上げます。皆様のうえに、豊かなお慰めが与えられますように祈ります。また、彼と共にお亡くなりになった方々とそのご家族に、哀悼の意を表します。

 中村哲医師は、1984年5月より、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)からパキスタンのペシャワールにある「ペシャワール・クリスチャン・ホスピタル」に派遣され、語学研修の後9月より病院に勤務開始されました。当初、内科その他の診療もする予定でしたが、地域のニーズ等も考慮してハンセン病に専念することとし、ハンセン病病棟の責任者として、ハンセン病に苦しむ方々に全力を尽くして寄り添い、1990年5月まで当会派遣医師として働いてくださいました。

 現地で働かれる中からペシャワール会を立ち上げ、アフガニスタンからの難民の医療、さらにはアフガニスタン国内の人々の必要に応える働きへと仕事を深められ、井戸の掘削事業、灌漑用水路事業へと、人々の命にとって最も必要とされることに向かって精力的に進まれました。彼のような働きをできる方は、本当に稀であると思います。彼の偉大な功績を思いますと、彼の命が奪われてしまったことは、本当に残念です。また彼自身の中でもっと働き続けたいと願っていたことを思うと、さぞかし無念であったと思います。こういった加害者たちを出さないでよい「平和」を築くことこそが、彼の願いであったと思うからです。

 いささか個人的な思いを付け加えさせていただきます。

 彼の悲報を耳にいたしましてから、まったく落ち込んでいます。私はJOCSの第二回海外医療協力者会議の準備委員として、パキスタンに第一期赴任を控えた中村哲氏と、1週間にわたって、海外医療を志す同志として、また同じハンセン病医療を目指すものとして、ワンケオ(タイ国)の小さなバンガローで寝起きを共にし、様々に話し合う機会を与えられました。それから32年間、尊敬する先立ちとして、本当に人々の必要に応える働きを精力的に続ける尊敬すべき先立ちとして過ごしてくださいましたことを、心から感謝申し上げます。と申しましても、とても忙しい彼と最後にゆっくり話すことができたのは、2010年5月12日、岡山で開催いたしました日本ハンセン病学会の市民公開講座の講演者としてお迎えした夜が最後となりました。この世では、もうあのように親しくお話をすることができないと思いますと、復活のときが来ることを信じているキリスト者ではあるものの、本当にさびしさに打ちのめされる思いです。

 働きの場は違っても、彼の目指した「真に平和な世界」「みんなで生きる世界」の実現に向かって、これからも小さな歩みを続けていくことを願い祈っております。

 み霊の安らかな眠りをお祈りいたします。

公益社団法人 日本キリスト教海外医療協力会
会長 畑野研太郎

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