【映画】 あるイラン人監督の祈りと覚悟 『少女は夜明けに夢をみる』 メヘルダード・オスコウイ監督インタビュー 2019年12月16日

 雪降り積もるテヘラン郊外の少女更生施設。「夢は死ぬこと」と答える少女、実父を殺してきた少女、叔父に犯され続けた少女らが、ふと声を合わせ歌い上げる。「私たちの痛みは四方の壁から染み出るほど」と歌われるその壁を抜け、灰空のもと塀の彼方へ歌声はリフレインする。罪と安息が転倒する夢の彼方へ。 

 綿雪の白銀に彩られたその光景に、今日のイランをめぐるお仕着せのイメージはまず覆される。シーア派信仰を国教と定めるイラン・イスラム共和国の収監施設で、少女らは自らの心情を言葉にのせ歌い上げている。気遣いあう仲間の歌声に、自由に拍子を合わせ手を鳴らしてもいる。悲しみや不安に襲われたひとりの少女を、べつの少女の両手が優しく撫で抱きしめている。そうしたことの一つひとつを、男性監督オスコウイは黙して撮り続ける。国際社会においては女性抑圧が喧伝されがちなイスラーム信仰を最上位へ掲げ、欧米サイドへ肩入れする日本メディアの多くが「ならず者国家」とさえ非難する国の、統治権力の象徴たる収監施設におけるこれら少女の振る舞いが、翻って日本の女子少年院では許されるかという疑問が脳裏を掠める。日本の刑務所では訪れた慰問団が歌う賛美歌を聴く際にも整列のうえ、首を傾けることさえ禁じられている。

 『少女は夜明けに夢をみる』監督メヘルダード・オスコウイは現在、新作の撮影過程で生じたある問題から、本国の法廷にて係争中だと明かす。しかし自身の作品そのものが検閲を受けカットを余儀なくされたことは、これまで一度もないという。インタビューの冒頭で、彼が決然とこう言い放ったことは印象深い。

 「自分が刑務所へ入ることになっても構わない。しかし自作のフレームが切り取られることは耐え難い」

 そう断言する彼の姿勢に感応する官吏や裁判官は、実際少なからずいるようだ。オスコウイ監督が監獄物3部作のラストに当たる本作で少女更生施設取材を実現できたのも、こうした映画製作に対する彼の力強い信念ゆえだろう。映画大国イランが、同時に映画検閲の最も厳しい国の一つであることはよく知られる。周知のように巨匠キアロスタミがジグザグ道3部作で主人公に子どもを採用し続けたのは検閲を避けるためだったし、バフマン・ゴバディ監督は『ペルシャ猫を誰も知らない』完成後国外へ亡命し怪作『サイの季節』を撮り、ジャファール・パナヒ監督は当局から30年の映画製作禁止令を受けながら母国に留まりあの手この手で映画撮影を続け、密かに持ち出された作品群は世界の主要国際映画祭で次々に最高賞を獲得してきた。

 こうした面々のなかにあっても、忍耐強く毎度数年にも及ぶ当局との交渉のすえ撮影実現へ漕ぎ着けるメヘルダード・オスコウイの立ち位置は際立っている。刑務所へ入ることになっても構わない。そのように語る際、オスコウイ監督が覗かせる圧倒的信念の基盤には、彼自身の描いてきた軌跡がもたらす必然とさえ言い得る覚悟がある。それは使命感と言い換えても良いだろう。

 「イランで政府の収監施設を撮ってきた自分が、もし刑務所へ入ることになったとしても、私はそれをミッションとして受け入れられると思う。実は政治的な問題から、私の父にも祖父にも刑務所勾留体験があります。私が15歳の時、家業が倒産し父は入獄して、私は自殺を試みた。1回そういうことがあったから、撮るべきと感じることを撮るために命を捨てることなど惜しくはない。自分が信じるもののためいつもすべてを賭けています」

 ミッションの語のこうした用法に、カタカナ語のそれがもつ慣用性を遥かに突き抜けた重みがあることは疑いない。オスコウイは法廷においてさえ、こう訴えたのだという。

 「私は裁判官にも説明しました。私たちは、よきことのため自らの命をも差し出す預言者が到来した世界に生きている。信じるべきことは伝えていかねばならない。自分の作品は大学での教育よりも影響力があると思うし、社会のために有益な内容をもつと思う。精力を注いできたこれらの1カットでも切り取られることは、心を深く痛めつける。人類は少しでも心を豊かにしようと務めるべきだし、そのためには人々の痛みを描いてゆくべきです。それが私たちの役割なのです」

 伝えるべきを伝えることが己の役割だ、と明言する彼は映画監督であると同時に、もしかしたらそれ以上に、ミッショナリー=伝道者の自覚を有している。であればこそ信仰と映画との関係について問うた時、オスコウイはこのように応じたのだろう。

 「タルコフスキー、小津、キアロスタミ。最も宗教的な映画は、宗教を語っていない映画なのです。『少女は夜明けに夢をみる』のテーマと宗教は本来関係がありませんでした。しかし本作に登場する少女たちにとって、最も大切な存在は神と母です。すべてについて神へ語りかけ、常に母を恋しがっています。映画ではイスラーム法学者の男が更生施設を訪れる場面もありますが、彼が少女たちへ語るのはもっぱら日常面や法律の具体的な話題ばかりです。神は最もパーソナルなものであり、一人ひとりの神との関係は異なります。言葉で人に答えられるものではない。少女ハテレが『神様とは絶交だ』とつぶやくシーンがありますね。これは自分と一番親しい相手に対する、つまりは世界そのものに対するとても深い絶望の表現なのです。

 ところで逆に質問なのですが、学者と芸術家の違いをあなたは何だと思いますか?」

 唐突な逆質問に一瞬戸惑いながらも、「学者は分析し細分化するのに対し、芸術家ははじめから全体を相手に表現する」と応えると、その通りだと受け取りつつ、アーティストは望んでなるものではなく選ばれ、インスパイアされる存在なのだと彼は続けた。預言者のような仕方で、人々の実人生をよりよくする存在だと。聴きかた次第では選民思想にたち自身を預言者にまでなぞらえる危うい語り口ともとられかねないが、そうしたリスクを脇へ措いても伝えるべきことがあるという、この姿勢自体が表現者としての彼の強みなのだと理解できる。

 しかし、初対面からわずか30分ほどの間にそう理解させるだけの説得力の源泉は、やはり彼が語る直接の言葉よりも『少女は夜明けに夢をみる』のほうにあると素朴に感覚される。そのことを不思議だなと感じつつもインタビューを終えようとした時、山形国際ドキュメンタリー映画祭滞在時のある山寺での体験をオスコウイは語り始めた。

 「映画の仕事で世界のいろいろな場所へ出かけた際、私は必ず人々が祈る場所へ訪れるようにしています。それはお寺であったり教会であったりユダヤ教のシナゴーグであったりします。そうした人々が祈る場で、空間を感じることが好きなのです。山形である山寺を訪れた際には、学生の団体がいてお坊さまが何か説教をしていました。同行の通訳者から訳そうかと聞かれたけれど、いいです、感じるだけで良いので、と答えました。その後、お寺の奥のほうへ入ってみたいと感じたのですが係の人にダメだと言われました。しかし、そのお坊さまが『あなたは良いですよ』と言ってくれたんです。それはとても嬉しい出来事で、その奥の空間を感じる体験は素敵なものでしたから、その場でお坊さまに『何か一つ言葉をください』と言ったのです。するとお坊さまは手を私の肩へかけ、しばらく私の目を見て何も言わなかった。でもその時、物凄い力を感じたのです。映画製作の現場ではさまざまなテーマを持ちかけられるけれど、本当に大事なのはどうしようもなく心のうちに留まるものであり、言葉のうえのこと、表層のことは重要ではないのです」

 すでにインタビューの時間が尽きた終わりに、海外での撮影に興味があるかと軽く問いかけた。するとオスコウイ監督は、日本の海女さんに触発され、イラン南部にもいる彼女たちを撮ってみたい、彼女らは文化的、因習的、感情的、政治的に多様な特性をもち大変興味深いと語りだした。帰り支度を始めた同行の編集者や次の準備へ移るペルシャ語通訳者をよそに、早口の英語で怒涛のように語りやまない彼に圧倒されつつ筆者は耳を集中させた。周囲に急かされつつオスコウイ監督が足早に語ったことを以下要約し、本稿の締めとしよう。

 「海女さんのもつ多様な特性のうち、とりわけ惹かれたのはその情熱、感性的な側面です。ドキュメンタリーの撮影において重要なラインは2本あります。一つは情報面のラインで、もう一つは感情面。ほとんどのドキュメンタリー作品で重要視されるのはこのうち情報的な側面ですが、私にとって極めて大切なのは感情面のほうなのです。たとえば二つの土地を比べる時、そこに文化や価値観の差異を見つけることは無限に可能だし、情報的には重要です。しかし同時に文学的、詩的でもあり得る映画には、差異を超え共有するものを見いだす力がある。私にとって映画とは、外部の世界や人々を映すものである以上に、内面を深く見つめる営みなのです。内面の奥深くを通じてこそ私はあなたに通じ得る、映画という表現を通して人々は歩み寄れる。今回あなたにインタビューされて幸運に思うのは、自分でも言葉にするのがこうした難しい領域について話せたことです。人の内面をよぎるものを捉えたい、その方法を見い出したいと私はいつも考えています。時間は多くありません。しかし挑戦は続けます。まったく時間が足りませんね。またお話しできるのを楽しみにしています」

(ライター 藤本徹)

 大阪・第七藝術劇場(終映日未定)、静岡シネギャラリー(〜12/20)にて上映中。ほか、東京・下高井戸シネマ、神奈川・シネマジャック&ベティなど全国順次公開。詳細は公式サイトをご確認ください。

『少女は夜明けに夢を見る』
公式サイト:http://www.syoujyo-yoake.com/

©Oskouei Film Production

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