教皇フランシスコ来日 「非核・平和は未来への責任」 被爆者、被災者、青年と面会 2019年12月25日

各地で励ましと癒やしのメッセージ
カトリック共同体の姿を象徴

 専用車両「パパモービレ」に乗った教皇フランシスコが姿を現すと、東京ドーム内を埋め尽くした5万人超のカトリック信者らが一斉に歓声を上げた。場外では公式グッズの販売に行列ができ、来場者が大画面のモニターに向かって小旗を振る様子は、さながら人気アイドルのコンサートのよう。11月23日から26日までの日程で長崎、広島、東京をめぐるという過密スケジュールながら、82歳とは思えぬバイタリティで、時にユーモアを交えながらメッセージを語った教皇。その一挙手一投足を一般メディアも大きく報じた。各地の反応も含め、4日間の動きを追う。

被爆地から平和願う発信
「軍拡競争は貴重な資源の無駄遣い」

 教皇フランシスコは11月24日、被爆地である長崎、広島を訪問し、「軍備拡張競争は貴重な資源の無駄遣い」「武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっている。これらは途方もないテロ行為」と核武装と軍拡の動きを厳しく非難した。

 今回の来日に尽力した前田万葉枢機卿は時事通信のインタビューに答え、「教皇は核兵器の使用だけでなく、保有・製造も『駄目だ』と言及するだろう」と核兵器廃絶に向けたメッセージが発信されることに期待感を示していた。

 雨が降りしきる中、沿道では地元の信徒らが日本やバチカン、教皇の出身地であるアルゼンチンの国旗を振って歓迎。爆心地公園(長崎市松山町)では、被爆者から渡された白い花輪を原子爆弾落下中心地碑に捧げ、降りしきる雨の中、沈黙のうちに祈り続けた。

 午後には長崎県営野球場「ビッグNスタジアム」(長崎市松山町)でミサが行われ、およそ3万人が参加。舞台上の祭壇の隣には、被爆マリア像が置かれた。スペイン語による説教で教皇は、「キリストは生きておられ、私たちの間で働かれ、私たち皆をいのちの完成へと導いておられる。キリストは生きておられ、私たちに生きる者であってほしいと願っておられる。この方は私たちの希望」と説いた。

 ミサ中の共同祈願は、スペイン語、韓国語、タガログ語、日本語、ベトナム語で行われ、さまざまな出身の信者たちが集う今日の日本のカトリック共同体の姿を象徴するものとなった。

 広島市中区の平和記念公園で行われた「平和のための集い」には、被爆者をはじめ諸宗教の代表者ら約2千人が集った。教皇は、原爆死没者慰霊碑の前に献花。祈りを捧げた後、ろうそくに火を灯し、闇に鐘の音が響く中、会場の参加者と共に黙祷を捧げた。「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもない」と述べた教皇は、それは人類とその尊厳だけでなく、私たちの「共通の家」の未来の可能性にも反する、と教皇は指摘。真の平和とは、非武装の平和以外にありえない、私たちは歴史から学ぶべき、「戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない!」と声を合わせて叫ぼう、と呼び掛けた。

自主避難の高校生が訴え
「力持つ人たちに悔い改めの勇気を」

 東京に移動した教皇は25日、千代田区内のイベントホール「ベルサール半蔵門」で、東日本大震災の被災者らとの集いに出席した。集いには2011年3月11日の東日本大震災と、福島第一原子力発電所事故による福島、宮城、岩手県の被災者ら約300人が参加した。

 被災者を代表して、岩手県宮古市の幼稚園園長、加藤敏子さん、原発から北西約17キロにある福島県南相馬市の同慶寺住職、田中徳雲(とくうん)さん、当時8歳で福島県いわき市から東京へ自主避難した高校2年生、鴨下全生(まつき)さんが登壇し、それぞれの体験から災害がもたらしたもの、自分や家族や共同体に与えた影響、困難の中を歩みながら得た思いなどを語った。

 東京へ転校後にいじめを経験し、福島出身であることを隠していた時期もあるという鴨下さんは、「大人たちは汚染も被ばくも、これから起きる可能性のある被害も、隠さず伝える責任がある。嘘を認めないまま先に死なないでほしい」とし、国策としての原発推進、賠償額や避難区域の線引きによって分断された被災者の実態などを自身の言葉で訴え、「互いの痛みに気付き、再び隣人を愛せるように。残酷な現実であっても目を背けない勇気が与えられるように。力を持つ人たちに悔い改めの勇気が与えられるように」「世界中の人が動き出せるように祈ってください」と呼び掛けた。教皇は登壇した被災者ら一人ひとりの手を取り、耳を傾け、励ましの声をかけた。抱き寄せられた鴨下さんが感極まりうつむく場面も見られた。

 講話の冒頭で教皇は、地震、津波、原発事故によって言い表せない辛い思いを体験したすべての人を代表し、大勢の人が被った悲しみと痛み、よりよい未来に広がる希望を伝えてくれた被災者代表の方々に謝意を述べた上で、1万8千人に上る犠牲者、そして遺族、行方不明者のために、参加者と共に沈黙の祈りを捧げた。

 福島第一原子力発電所の事故とその余波については、科学的・医学的な懸念はもとより、社会構造の回復という大きな課題を指摘。「地域社会で社会のつながりが再び築かれ、人々がまた安全で安定した生活ができるようにならなければ、福島の事故は完全には解決されない」「三大災害(地震、津波、原発事故)後の復興と再建の継続には、多くの手と多くの心を一致させなければならない」と話した。

 同じく福島の被災者として登壇し、教皇と面会した柳沼千賀子さん(カトリック二本松教会信徒)は次のように話す。「イエス様から鍵を渡され後継者となったペトロの後継者である教皇様の来日は、2000年前のイエスの出来事が過去のものではなく、現代にあってもなお、この地上における神の国の実現のためのメッセージとなりました。現代の最大の懸案となっている『核』と『原発』問題にはっきりとNOを表明されました。この判断の背後にあるのはイエスの教えである人々の救いと平和です。政治家の判断の背後にあるのは、利益と闘いの勝利欲です。どちらが私たちのリーダーとしてふさわしいでしょうか」

いじめ・差別を経験した青年に励まし
「日本も世界も若者を必要としている」

 続いて東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)で青年たちと会見。3人の代表が、今日の日本社会で青年はどう神と出会い生きていくべきか、若者たちが自分のよさに気付くようどう寄り添うべきか、また外国籍を持って生活することの喜びや苦しみ、いじめや差別の問題などをテーマに話し、今日の日本の青年たちが抱える現実と思いに光を当てながら、教皇に助言を求めた。

 今日の日本に生きる若者における文化的・宗教的な多様性を見て教皇は、それこそが、この世代が未来に手渡せる美しさであると述べた上で、「人類に必要なのは、同一化ではなく共存を学ぶこと、友情をはぐくみ、他者の不安に関心を寄せ、異なる経験や見方を尊重すること」と話した。

 いじめと差別に苦しんだ若者の経験に対しては、いじめの被害者が自分は弱い、価値がないと自身を責めることも珍しくないが、「いじめる側こそ、本当は弱虫であり、他者を傷つけることで、自分のアイデンティティを肯定できると考えている」と指摘。友人や仲間同士で、「絶対だめ」「それは間違っている」といわなければならない、と励ました。さらに「日本も世界も若者を必要としている」と話し、若者たちが霊的な知恵を育み、人生において、本当の幸せへの道を見つけることができるようにと祈った。

東京ドームでミサ、上智大学で講話
「教会は野戦病院に」

 25日午後には、東京ドーム(東京都文京区)でミサを捧げた。ミサには、日本全国からおよそ5万人が参加した。特別車「パパモービレ」の上から、多くの子どもたちに祝福を与え、会場を巡回。ミサの説教で教皇は、マルコによる福音書の「山上の説教」から「神と富とに仕えることはできない」「思い悩むな」の箇所を取り上げ、「キリスト者の共同体は、すべてのいのち、すなわち目の前にあるいのちを守り、抱擁し、受け入れる態度を、あかしするよう招かれている」「いのちの福音を告げるよう、私たちは求められ、駆り立てられている。それは、共同体として傷ついた人を癒やし、和解とゆるしの道を常に示す野戦病院となること」と説いた。

 最終日の26日には上智大学を訪問。イエズス会出身の教皇は、集まった700人余りの学生たちに向けて講話。「どんなに複雑な状況であっても自分たちの行動が公正かつ人間的であり、正直で責任を持つことを心がけ弱者を擁護するような人になってほしい。ことばと行動が偽りや欺まんであることが少なくない今の時代において特に必要とされる誠実な人になってほしい」と諭し、「訪問中の温かい歓迎に感謝する。これからも祈りの中で皆さんのことを思い出す」と感謝の言葉を述べた。

 4日間の日本訪問を終えた教皇は午前11時半過ぎ、羽田空港でカトリック教会の司教らに見送られ、特別機で帰国の途に就いた。

 なお、今回の来日を機に政府は、呼称を「教皇」に変更すると11月20日に発表。外務省は、カトリックの関係者をはじめ一般的に教皇を用いる例が多いことと、「法王」が国家元首を務めるバチカン側に、教皇という表現の使用について問題がないことが確認できたためと説明した。ただ「法王」を使用しても「間違いではない」としている。(本紙、一部CJCによる)

©CBCJ、撮影=山名敏郎

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