JEA信教の自由セミナーで森島豊氏 キリスト教広がらない背景に「明治期の宗教政策」 2020年1月12日

 「なぜ日本でキリスト教が広がらないのか」――日本のキリスト教界が抱えるこの問いをテーマとする、日本福音同盟(JEA)社会委員主催の信教の自由セミナー「不思議な日本社会の仕組み」が12月13日、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の中央聖書神学校(東京都豊島区)で開催された。青山学院大学教授の森島豊氏が講師として招かれ、講演後に4人の神学生がレスポンスを行った。

 まず日本のキリスト教弾圧の背景について解説した森島氏は、豊臣秀吉が長崎へ赴いた際、キリシタンであることを理由に天下人であった秀吉の誘いを拒否した少女や、秀吉に棄教を迫られた高山右近の話を紹介。キリスト教には、権力よりも上の存在(神)を認め、聖書に背くことを命じる権力に抵抗する「抵抗権」の思想があるとし、「弾圧の背景としてキリシタン奪国論がよく説かれるが、権力者たちは庶民、大名がキリスト教を通して抵抗することを恐れて弾圧を行った」と解説した。

 明治政府が天皇の神的根拠のもと、祭政一致での統治を目指したが、列強諸国からの信教の自由と政教分離を求められたため、皇室祭祀、神社神道を諸宗教とは別の超宗教的な文化(国民儀礼)であるとし、天皇神権を維持しながら政教分離と信教の自由を両立したことにも触れ、「初詣や七五三、地鎮祭、公共施設にある神棚などを『文化』だとするロジックは、明治政府の宗教政策」とし、この政策がキリスト教の「神を神」とする抵抗思想を骨抜きにしたと指摘。

 明治政府は旧体制(士農工商)の解体において、新たな統一原理として、一君主の下で四民平等(一君万民)という、平等思想を展開。身分制がなくなったことを人権と読んだ。森島氏によると「この人権は、平等ではなく国民の平均化である。君主(天皇)への平等な忠誠心を求めるもので、忠誠がない時に、非人間(非国民)的な扱いをされる。日本では人間の尊厳ではなく、忠誠心を基準に人権がつくられた」とした。

 当時、認知度が低かった天皇を庶民に周知させるための政策の一つとして、神棚(と仏壇)を各家庭に設置させ、それらにキリスト教徒が抵抗したことが天皇の神性を侮辱するとし、浦上四番崩れなどの迫害が起こったという。「君主より上の存在は、思想的にこの国にはない。つまり抵抗権を持てない。この天皇型人権によってキリスト教の神を神とする感覚を失わせていった」。森島氏は、それこそがキリスト教が広がらない理由だと述べた。

 講演後、中央聖書神学校の吉武惟一氏、聖契神学校の城間創氏、東京基督教大学の福島慎太郎氏、東京聖書学院の亀田威氏が応答を行った。

 吉武氏はマーケティングにおける4P(prodact,price,prace,promortion)の観点から、特にプロモーション(伝道)において、「IT、デジタル化の時代において、さまざまな手段を用いて伝道をしていくという意識が現状の教会に欠けているのでないか。伝道活動を工夫し、聖霊の満たしの体験していただくことによって、それがその人自身のものになるので、宣教が進むのでは」と提案。

 キリスト者学生会(KGK)でも働く城間氏は学生との関わりから、「学生の世界には、『みんな違ってみんないい』精神が蔓延しており、多様な考え方の中から、いいとこ取りで自分の生活を豊かにしようとする傾向がある。そこではキリスト教は一宗教としての認識に留まり、それ以上深入りすると、自分の人生を脅かされると一歩引いてしまう。これは明治政府が定めた、国家の秩序を乱さない限りは、信教の自由を認めるという自己保身の発想によく似ている」とし、キリスト者が日曜日の教会だけではなく、全領域における神の国に生きる文化を身につけなければいけないと語った。

 福島氏は、キリスト教界から即位の礼や大嘗祭への反対の声明が出されたことを指し、「これは我々が反社会勢力であるということではなく、唯一の神に立つ我々キリスト者が異を唱えずにいられなかったから。私たちの神が教会だけの神なら、政治のことには口を出さない。全世界の神だから、政治にも関わる」と述べた。また、教会や神学校内で政治的なことに意見をする時、「宣教に支障が起きるから耳障りなことは言うな」という意見も聞くとし、「社会に迎合して福音を変えていくのは宣教とは呼ばない。まことの礼拝者をつくることこそ宣教。福音の一部分を切り取るのではなく、すべてを伝えてこそ宣教」だと語った。

 亀田氏は、日本的意識について、丸山真男(思想家)の古層論を取り上げ、「日本人はなりゆきや、勢いを尊重するため、欧米よりも主体性が薄い。抵抗思想を持ったキリスト教が広がらないのが日本人の意識の問題であるならば、とても根深いのではないか」、また皇族を呼び捨てにすることに抵抗を感じるなど、「日本人の中に内なる天皇への情というものがあるのではないのか」と問いかけた。

 最後に森島氏が、現代の教会がなすべきことについて、「イエス・キリストは今ここに生きておられるということを、み言葉と聖餐を通してはっきり語ることである。それが分かれば人は洗礼を受ける。教会がちゃんと生きておられる神様を示せるのであれば、日本的意識は吹き飛ぶ」と締めくくった。

宣教・教会・神学一覧ページへ

宣教・教会・神学の最新記事一覧

TO TOP