【夕暮れに、なお光あり】 老後の初心 渡辺正男 2020年1月21日

 12年間仕えた教会を辞任する時に、有志の人たちが最後の年の週報を冊子にまとめて、記念にと贈ってくれました。その冊子にどんな題名をつけたいか希望を聞かれて、私は「初心」と答えました。

 「初心」は、世阿弥の言葉「初心忘るべからず」に由来しています。

 世阿弥は、能の芸術論を『花鏡』としてまとめました。『花鏡』の「奥段」と題された最後の章に、「初心忘るべからず」と記されています。そこには、三種類の「初心」が語られています。「若いころの初心」、「その時々の初心」、そして「老後の初心」です。

 週報の冊子の表題を問われた私は、すでに歳を重ねていましたので、「老後の初心忘るべからず」という思いで、「初心」と題をつけたのです。

 「老後の初心」というのは、体力がなくなってきても新しい工夫をすることによって、なお創造的であることができるという意味合いです。

 80歳を傘寿と言いますね。私は、数年前に傘寿を迎える時に、先輩の友人から「アラ傘の仲間にようこそ」と声をかけられました。

 「アラ傘」の仲間に加わるころから、耳が遠くなり、トイレは近くなり、それに睡眠の悩みも加わって、不自由が増してきています。「車はそろそろ止めたら」と家族に言われて、この3月にも運転免許を返納することにしています。いよいよ本格的な老いの日々に入ります。

 歳を重ねると個人差が目立ってきますね。個人差というのは、老いの速度の違いというより、むしろそれぞれに老いの現れ方が違うということではないかと思うのですが、どうでしょう。

 その私なりの老いの日々をどう生きるのか、今問われています。

 世阿弥は、経験を積むことを「劫(こう)」と言います。劫を積んで老人になるのですが、その「劫」に安住するのを、「住劫」と言って、「嫌うなり」と述べています。

 じっとしていてさび付くような「住劫」は、できれば避けたい。「老後の初心忘るべからず」と心がけ、自分なりの工夫をして、老いを受け止める――そう願わずにおれません。

 与えられたいのちを、主なる神にお返しする時まで、ささやかでも用い尽くすように生きてみたいと思うのです。

「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」(イザヤ書43:19)

 わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。

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