【夕暮れに、なお光あり】 断捨離 小島誠志 2020年2月1日

 71歳になって31年間勤めた教会をやめる時、断捨離のつもりで所持していた書籍を大部分処分しました。教会から献身した4人の牧師たちにそれぞれダンボールに入れて送り、それから自分の関係しているキリスト教施設の図書館に献品しました。

 一つの区切りをつけられた、と思いました。がらんとした部屋を見渡して気持は清々しました。しばらくの間。

 四国山地にある教会から依頼があり、赴任することになりました。説教をしなければなりません。準備をしていると、調べなければならないこと、確認したいことが次々と出てきます。書斎から周りを見渡しても必要な本が見当たりません。キリスト教書店に走ります。古書店にキリスト教関係の本があったらできるだけ購入しました。東京に出たときには早めに行き古書店めぐりをします。神田は高価なので早稲田から高田馬場まで隈なく歩きます。行きか帰りかには「教文館」は欠かしません。

 まるでお腹のすいた子どもが食物をむさぼるように本を買い集めました。

 結果、おびただしい本が狭い家の1階2階の各部屋を占領するようになりました。玄関から足を踏み入れる廊下にいきなりデーンと高い本箱。応接室のはずが本箱に納めきれない本が四方の足元に置かれ、お客さんを案内することができません。2階の空部屋、子どもが帰省した時に使えるはずですが、そこも本とCDの山。CDはジャズとクラシック他で3千枚ほどか。2階の北隅に書斎があり、註解書ほかキリスト教関係の本たち。

 断捨離した8年前より明らかに多くなっています。私のこの文を読んで私の年齢を数えられた方がおられるでしょう。そんなに本を集めて読めるのか? そう聞きたいだろうと思います。むろん、それは本を買う時いつも自分に問うていることなのです。読めないでしょう。とても。

 でも80年近く生きてきたら、思いもよらなかったことに出会い、目を開かれます。こんな世界があったのか、と思わされます。

 断捨離をして自分の世界を狭める必要があるのか、今はそう考え、開き直っています。

 ご同輩、眼前に開けてきたいよいよ広い世界への扉を閉じてしまうのは止しましょう。

 「人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ」(コヘレト3:12)とあるではありませんか。

 おじま・せいし 1940年、京都生まれ。58年、日本基督教団須崎教会で受洗。東京神学大学大学院卒業。高松教会、一宮教会を経て81年から松山番町教会牧師。96年から2002年まで、日本基督教団総会議長を3期6年務める。総会議長として「伝道の使命に全力を尽くす」「青年伝道に力を尽くす」などの伝道議決をした。議長引退後は、仲間と共に「日本伝道会」を立ち上げて伝道に取り組む。現在、愛媛県の日本基督教団久万教会牧師。著書に『わかりやすい教理』『牧師室の窓から』『祈りの小径』『55歳からのキリスト教入門』(日本キリスト教団出版局)、『夜明けの光』(新教出版社)、『夜も昼のように』『わたしを求めて生きよ』『朝の道しるべ』『虹の約束』(教文館)など多数。

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