【緊急特集】礼拝をどうする? 新型コロナウイルス感染拡大 揺れる教会の現場 2020年3月21日

 新型コロナウイルス感染拡大の影響は、教会の礼拝やミサにも及んでいる。カトリック東京大司教区(菊地功大司教)は3月10日、「新型コロナウイルス感染症に伴う3月15日以降の対応」を発表。2週間の期限付きだった公開ミサの中止を延長し、15日以降も当面の間、インターネットでの映像配信を継続すると決めた。教派だけでなく、規模や立地の違いによっても対応はさまざま。現場で苦闘する2人の牧師に、対策や胸中について話を聞いた。

苦悩にじむ「いのちつなぐための礼拝」
伝えたい〝温かさ 優しさ 信頼を大切に〟

「出なくてもいい」蔓延を恐れる  Aさん(プロテスタント教会牧師)

 礼拝は行っていますが、聖餐式は4月まで中止。礼拝では間隔を空けて座るなど、互いの距離をとるための工夫をしています。特に高齢者への配慮、また、韓国の宗教団体によるクラスター感染情報を受けてキリスト教に対する風評の悪化に配慮し、可能な限りの対処をしているつもりです。

 他の教会でも、インターネット礼拝などさまざまな試みがなされているようです。しかし私が一番恐れているのは、礼拝者の「意欲」あるいは「礼拝には出なくてもいい」という肌感覚の蔓延です。

 以前、こんなことがありました。それまで礼拝に熱心に出席し、礼拝を大事にしていた役員の方が入院し、礼拝を1カ月間欠席しました。その方は、「長く休むと、休むのが当たり前になってしまう」と率直に打ち明けてくれました。熱心に通っていた方でさえ、体の痛みや心が病む時、礼拝への意欲をいとも簡単に失いかけてしまうのかと愕然としました。礼拝とは何か、礼拝への出席は何を意味するのか……。

 我々の教会では、当然ながら健康第一に考えているため、礼拝自体も休む必要があるかもしれません。しかし信徒の礼拝生活を考えると、踏み切れずにいます。むしろ、「情報過多」によって気が滅入る中で、福音の与える計り知れない力があることも教会は併せて考える必要があります。

 「見えない神」を信じる我々は、同時に「見えない恐怖」に恐れおののいているジレンマに苛まれています。「神はおられる」という確信は、「ウイルスはある」という現実とどう関わってくるのか、このことが目下の思索の課題です。

中止か実施か選択の余地を  Bさん(プロテスタント教会牧師)

 同じ教区に属する教会は一律で礼拝を中止しています。しかし、知らずに来られた方のために、牧師とその家族で聖餐式は執行しています。礼拝中止のケアとして、全教会員50人ほどに、メッセージを添えた手紙を送りました。

 心持ちとしては複雑です。「感染拡大の防止=礼拝の中止」といえる根拠に乏しく、正直なところ、「世間がそうであるから」という理由による対策だと感じているからです。

 礼拝中止の意思決定は、教派によって教区、各個教会とさまざまですが、教会が存在している地域や信徒をはじめ構成員の状況によって、中止か実施かを選択する余地があってもいいと思います。教会の礼拝は、構成員にとって「いのちをつなぐため」にもっとも重要な営みです。礼拝中止によって、「今日必要な糧」を得ることができない方がおられるかもしれないと想像すると、それは教会の本質から大きくかけ離れてしまうと考えます。風評被害を恐れる声もありますが、そうならないように、現時点で考え得る、適切な対策をとった上で、いのちをつなぐための礼拝のひとときを大切にしたいと切に望んでいます。

 こんな時だからこそ、冷静になって温かさや優しさや信頼を大切にしましょう! と呼びかけるのも、礼拝以外で教会がなすべき務めだと強く実感します。

【現場から寄せられた声】

●公開ミサを最初に中止したのは、香港とシンガポールですが、たいへんな衝撃でした。前代未聞です。同時に、それほど深刻な事態であることを実感しました。日本、そしてバチカンのお膝元のイタリアでも公開ミサ中止……本当に痛ましい事態だと受け止めています。ただ、所属教会の司祭が、音声メッセージ(お知らせ・励まし・祈り)をメールで配信し「なにかあればいつでも24時間、教会に電話をくだされば対応しますので安心してください」と励ましてくださるので、特に混乱は感じません。(カトリック信徒)

●大勢の人が集まる公開のミサは中止ですが、ミサは毎日続けられています。霊的聖体拝領という伝統があるので、パンとぶどう酒はありませんが、キリストとの一致を祈っています。具体的に聖体拝領を受けられない痛みは、皆が共有しています。いのちを大切にするというキリストの言葉に耳を傾けたい。(カトリック信徒)

●牧師の意向により、礼拝と聖餐式は死守していますが、時短礼拝です。説教は短く、信仰告白や賛美歌は省略……30分を目指します。聖餐式は、役員がマスクをして配餐。パンもぶどう酒も配られたらすぐにいただきます。試みとして時短礼拝は歓迎ですが、どの対策が効果的なのか分からず、また、いつまでこの状態が続くのか分からないのが不安です。(プロテスタント信徒)

●礼拝出席150人の教会なので、集団感染を防ぐためにも礼拝中止はやむを得ない判断だったと思う。この状況での礼拝出席には賛否両論あるだろうが、礼拝を中止した大規模教会や公共交通機関を利用する教会に通う人たちは、これを機に、近隣の小・中規模教会に足を運んでみるのもよいのではないだろうか。(プロテスタント教務教師)

●礼拝も聖餐式も通常通り。礼拝奉仕者は消毒とマスク。会衆にもマスク着用を呼びかけていますが、徹底されていません。持病のある義母と同居しているため不安です。無理して来なくてもいいと言われていますが、こんな時だからこそ、牧師や兄弟姉妹と共に礼拝を守りたい。足を運ぶものの、マスクをしていない人が咳をするたびにヒヤヒヤしてしまいます。(プロテスタント信徒)

●まだ感染症の実態が明確になっていない状況での判断は難しいことだと感じます。季節性インフルエンザとさほど変わらない、騒ぎ過ぎだとおっしゃる方もおられますが、まだそれを科学的に証明することはできません。
 礼拝を通常のまま続けるべきだという意見があり、礼拝を中止あるいは短縮するという考え方もあり、いずれも礼拝に真剣に向き合っておられる教会それぞれの思いからの苦渋の決断かと思います。しかし、たとえ被害が出たりクラスターを形成することになったとしても「礼拝は死守すべき」という考え方があるとするなら、それは過激に感じます。教会や牧師、役員会は命の責任を取ることができるでしょうか? 教会はすべての命を守るために世に遣わされている群れだということも大切な視点だと思います。
 自己責任で礼拝にご出席くださいという考え方もあります。これは「教会で感染されても一切責任は取りません」と言っていることと同じではないでしょうか。
 他教会の取り組みについて一律にどれが正しいとは言えないように思います。例えばある教会では限られたスペースに数百人の礼拝者が集い、また別の教会では比較的広いスペースに少人数で礼拝を守り得る状況ということがあります。それぞれに対応は違うだろうと思いますし、違っているべきだとも思います。(プロテスタント教会牧師)

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