【東アジアのリアル】 不可視的な希望をもって 遠山 潔 2020年4月1日

 2019年12月半ば、首都北京の巷では密かに騒がれていた。「どうやら南の方で何かが起こっている」――特定はできないものの、何やら新しい病気が流行しているようだ。そんなことを耳にしていた。何となく胸騒ぎを感じた。大きなことが起こらなければ良いのだが。そう思いつつも、年末は普段通りの街並みであった。

 年が明けて事態は一変した。あの胸騒ぎが的中してしまった。武漢で原因不明の肺炎患者が急増しているようだとのやり取りがあった。2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)に酷似した症状の肺炎だが、どうやら今回は異なるようだ。そんな情報がネット上でも行き来した。だが、気付けば、感染者は増え続け、マスコミの報道が行われた時点では相当深刻化した後であった。そして遂に政府は武漢封鎖を強行した。

 封鎖といえども、現地にいた友人たちはそれほど深刻な状況ではないとネット電話で語ってくれた。必要な食糧は確保できている。自宅待機が求められ、自由に外出することができない。だが、不自由さはそれほど感じないから大丈夫だと。そんな楽観的な様子だった。封鎖が施行される前に友人たちは偶然食料品を多めに調達できていたそうだ。そんなに幸いな状況であった人は多くはないはずだが。

宅急便を受け取るために並ぶ団地の人々(Photo by A.Z.)

 約2カ月が経った今、なぜこのような甚大な被害が起こらなければならなかったのかと考えてしまう。経済的な影響は想像を絶する。すでに大都市に集まる若者や出稼ぎ労働者の中には失業者も出ており、先行きの不透明感の故に市民の不安ははかり知れない。出稼ぎ労働者に限っては旧正月休みで地元に戻ったまま、都市部に帰還することがかなわなかった者が相当数いると聞く。

 実はこの問題は昨年の秋ごろから家庭教会の中で話題になっていた。地方から来ている兄弟姉妹が徐々に故郷に戻りつつあり、彼らはもう戻ってこないと言っている。そのような声を耳にしていた。原因は政府の政策の変化だと言っていた。その矢先に新型肺炎が蔓延した。多くの人の生活が一瞬にして一変した。

 1月のある朝、知人たちの日曜日の礼拝がオンライン礼拝になるとの知らせがあった。集会の禁止に近い自粛が求められているため、教会の礼拝はオンラインで実施することにしたとの通知であった。こうした変化に迅速に対応できるのが中国の都市部の家庭教会の強みである。何の問題もなく、スマホを片手に自宅で礼拝を共に捧げる形態に移行した。

 今でもその形態は変わらない。礼拝だけは大切にしたい。そんな姿を現している。だが、農村部では状況が異なる。オンライン礼拝もままならず、個人個人で礼拝を捧げている。しかし、それが新たな信仰覚醒を起こしていると見ている牧師もいる。それぞれが神の前で真剣に生きようと決意しているのだ。だが、この状況がいつまで続くかは誰もまだ分からない。

 今はどこに行っても並ばなければならない。宅急便の受け取りも、今までのように自宅まで届かない。指定された場所まで行って並んで受け取る。一瞬にして今までの便利さが奪われてしまった。だがこのような時だからこそ、不可視的なことに希望を持っているキリスト者は、恐れることなく隣人に愛の手を差し伸べることができると友人たちは笑顔で語る。「古代教会も疫病の時に人々を助けたように、我々も今こそキリストの愛と福音を伝えていく時だと思う」――彼らのこのような信仰深い姿に再び勇気と力を得た気がした。

遠山 潔
 とおやま・きよし 1974年千葉生まれ。中国での教会の発展と変遷に興味を持ち、約20年が経過。この間、さまざまな形で中国大陸事情についての研究に携わる。国内外で神学及び中国哲学を学び修士号を取得。現在博士課程在籍中。関心は主に中国の教会事情及び教会の神学発展についての諸問題。趣味は三国志を読むこと。

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