【夕暮れに、なお光あり】 初めて「おじいさん」と呼ばれた日 上林順一郎 2020年5月1日

 ある日、渋谷で会合があり高田馬場駅から電車に乗りました。すると前に座っていた小学生が「おじいさん、どうぞ」と立ち上がったのです。「おじいさん」と聞いた途端、「イイよ、すぐ降りるから」と口走っていました。言った手前仕方なく次の駅で降り、次の電車で渋谷に向かいました。「おじいさん」と、初めて呼ばれた日でした。

 十数年経った今、電車に乗ると空席を探し回り、ないと分かると「優先席」に座っている若者の前に立ち、「白髪の人の前では起立し、年配者を重んじなさい」(レビ記19:32)と心の中で悪態をつく「嫌なジジイ」と化しています。

 100歳を超えても医師を続けた日野原重明さんは「老いるタイプ」に三つの型があると言います。一つは「抵抗型」、まだ若いと言い張り、老いを受け入れようとしないタイプ。二つ目は「不平不満型」、思うようにならないのを他人のせいにし文句ばかり言うタイプ。三番目が「自己嫌悪型」、失敗を引きずり、その責任を自分自身のせいにし、老いるにしたがってうつ的になるタイプです。いずれも身に覚えがあります。

 今、日本では人生100歳時代と言われ、ある予測では20年後の2040年には高齢者人口が4000万人と総人口の3分の1を超えるそうです。その時にはもしかして私も100歳(?)、老いの日々をどう生きるか、深刻な課題です。

「万軍の主はこう言われる。/再び、エルサレムの広場には/年老いた男女が座り/長寿のゆえに、それぞれ手に杖を持つ」(ゼカリア書8:4)

 バビロニアの捕囚から解放され、故国に帰還したユダヤ人たちは破壊されたエルサレムの再興を図ります。預言者ゼカリアは再建され平和になったエルサレムの広場には老爺、老婆が杖を手にして座っている姿を預言します。

 「老」という漢字は、背中の曲がった人が杖をついている姿だそうですが、杖を手に広場に座っている老爺、老婆たちを神は平和の礎とし、エルサレムの再興の希望とされていたのです。

 日野原さんは「老いにならない」ために第四のタイプを勧めます。「平穏に老境に入り、ストレスがなく、自分を肯定して受け入れ、他人を責めず、過去を悔やまず、日頃の人間関係に満足するしなやか型」です。私はとてもそうなれそうにはありません。高齢ゆえにますます嫌われ、邪魔者、余計者とされ居場所がなくなることでしょう。

 「おじいさん、どうぞ」と言われて、「イイよ、すぐ逝くから」などと間違っても口走らないで、おばあさん、おじいさんは「平和の礎、希望の星」としてこの国の真ん中でどっかりと居座り続けましょう。私はこれを「居直り型」として推奨します。

 かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。

撮影=山名敏郎

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