【夕暮れに、なお光あり】 ピンコロとヨタヘロと 上林順一郎 2020年5月11日

 いっとき「ピンコロ」という言葉がはやりました。「ピンピン長生きし、コロリと往生する」の略です。高齢者の最後の願いのようですが、それを売り物にする寺院や神社も各地に出現し、高齢の参拝者であふれたところもありました。

 ある町の老人会が「ピンコロ」で有名なお寺へ貸し切りバスで祈願に行きました。無事にお参りが済んでの帰り道、参加者の1人が車内で突然倒れました。「早く救急車を!」と叫ぶ人、懸命に心臓マッサージをする人、車内は大騒ぎになりました。道路が混んでいるのか救急車はなかなか到着しません。「このままでは死んでしまう!」「死んだらあかん!」と人々が口々に叫びます。つい先ほど「コロリと往生」を祈念したはずなのに。ラジオで聞いた話です。

 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」―良寛さんの言葉です。「ピンコロ」の願いも、いざとなるとわたしたちもきっと慌てふためくことでしょう。

 評論家の樋口恵子さんが最近「ヨタヘロ期を堂々と」を勧めています。「ヨタヘロ」とは後期高齢期を迎えてもヨタヨタ、ヘロへロとよろめきながら堂々と生きることです。そのためには「シニア食堂の設置」「素直に人の世話になる」「老いや認知症を隠さない」と言います。さらに大切なこととして「いくつになっても人とコミュニケーションができる社会」を提案しています。

 先ほどの老人、無事蘇生したとのことですが、周りの人たちの「死んだらあかん!」の声が耳の奥でずっと聞こえていたそうです。コミュニケーションが命を救ったのでしょう。

 旧約聖書に登場するモーセはシナイの荒野を40年間もイスラエルを導いて約束の地を目前にしますが、神からその地に入ることを許されず、無念の内に異邦の地モアブで生涯を閉じます。「モーセは死んだとき、百二十歳であったが、目はかすまず、気力もうせていなかった」(申命記34:7)とあります。理想的な「ピンコロ型」でしょう。しかし「今日に至るまで、誰も彼の葬られた場所を知らない」(34:6)と、孤高の死であったようです。

 一方、アブラハムの子イサクは「年を取り、目がかすんで見えなくなってきた」(創世記27:1)、自分の2人の息子の区別もつかずヤコブに騙されます。高齢化による認知症が始まっていたのでしょうか。そのイサクは「イサクの生涯は百八十年であった。イサクは老いた後、生涯を全うして息絶え、死んで先祖の列に加えられた」(創世記35:28~29)とあります。「ヨタヘロ型」でしょうか。でもイサクはイスラエルの共同体の仲間に迎えられての死でした。

 2人とも神の祝福のうちにある人生でしたが、さて、あなたは?

 かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。

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