【宗教リテラシー向上委員会】 黒人差別デモと英国の現在 與賀田光嗣 2020年6月21日

 英国ではロックダウンが続いている。在宅勤務とホームスクーリングに励む毎日だ。妻はキーワーカーのため、変わらずに出勤している。外の世界を彼女から学んでいる。

 「外の世界」、英国の主要都市ではアメリカ黒人差別に対するデモが行われている。差別に対する連帯の世界的広がりを感じる。「コロナ禍」におけるデモへの評価は分かれるだろう。だが、それは人々の悲しみと怒りの表現でもある。

 「デモ」は英語で「プロテスト(抗議行動)」と呼ばれる、人権の基礎、「抵抗権」の行使である。パンデミック下であれ、安全に配慮するなら「誰もが平和的に抗議する権利を持つ」と、一般的に英国では考えられている所以だ。今回の「プロテスト」は首都ロンドンのみならず、英国全土に広がりを見せた。いずれの有力都市も植民地主義や奴隷貿易の財によって発展したからだ。自国の傷跡、歴史との対峙といえる。

 過去の莫大な富は当然ながら教会をも潤した。かつての「標準子午線」の起点・グリニッジ天文台の近くに、旧王立海軍大学がある。その付属チャペルの豪華絢爛さには驚かされる。所属教派ながら罪の歴史に痛みを覚える。

 先日、南西部の港湾都市ブリストルが全国ニュースとなった。大西洋三角貿易の拠点、アフリカ奴隷貿易の玄関口として発展した街だ。この街にコルストン(1636~1721年)という人物がいた。国会議員をつとめ、救貧院、病院、学校、教会に多額の寄付をした地元の名士だった。コルストンの名を冠した公共施設も多く、ブリストル大聖堂には彼を記念したステンドグラスもある。

 しかし、1895年、街の中心に建てられた彼の銅像には「奴隷商人」という過去は刻まれていなかった。コルストンは8万4千人を商品として扱い、1万9千人が航海中に死亡した。彼の莫大な富と名声は、差別と死体の山の上に築かれた。

 全国ニュースは「コルストンの銅像が倒されて海に投げ捨てられた」と伝えた。実は、彼の銅像にからむ事件には歴史がある。1998年には「奴隷商人」と落書きされたが、バンクシーに代表されるアートの街ブリストルでは好意的に受け止められた。ビートルズから続くブリティッシュロックの伝統といっていいかもしれない。2016年、普通選挙制度では英国初となる黒人奴隷の末裔であるマーヴィン・リース市長が誕生。2018年、英国が定める「反奴隷の日」には、銅像の足下に奴隷船の船室を表現したアートが設置された。これらの経緯もあり、数年前から、ブリストル大聖堂はステンドグラスの取り外しを検討していた。神と人に出会う場所、祈りの家にふさわしくないからだ。

コルストン由来のステンドグラス撤去作業が始まる

 全国ニュースの翌日、大聖堂は早期取り外しを発表。またブリストル市の黒人女性副市長はSNS上で「大西洋に投げ捨てられた200万人のアフリカ人奴隷へのオマージュ」として、メキシコの海底美術館を紹介した。

 港町ブリストルには、さまざまな肌の色をした人々が住み、多くの出会いがある。1963年、有色人種を雇用しないバス会社に対してボイコット運動を起こしたのも、この街だった。「アメリカの」公民権運動はまさに他人事ではなかったのだ。

 黒人神学者ジェイムズ・H・コーンは『黒人霊歌とブルース アメリカ黒人の信仰と神学』の中でこう語る。「黒人はイエスの受難に深い感銘を受けた。なぜなら、彼らもまた自分の人間性を守るために一言も弁明する機会を与えられることもなく、拒絶され、鞭打たれ、銃殺されてきたからである。イエスの死の中に黒人奴隷は自分自身を見た。(中略)『答え』は思考の形においてではなく、出会いの形において与えられた。悪の問題に対してはいかなる哲学的解決もありえなかった」

 「外の世界」と出会い、何を見出すのか。コーンの言葉が、ロックダウンの続く英国を揺さぶっている。十字架は、今日も世界各地で架けられている。

與賀田光嗣(立教英国学院チャプレン)
 よかた・こうし 1980年北海道生まれ。関西学院大学神学部、ウイリアムス神学館卒業。2010年司祭按手。神戸聖ミカエル教会、高知聖パウロ教会を経て現職。妻と1男1女の4人家族。

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