【映画評】 ゾンビと永遠のいのち 『デッド・ドント・ダイ』 2020年7月16日

 キリスト教徒なら、思わずニヤリとするゾンビ映画だ。オハイオ州の田舎町で、突如、世界の終わりを迎える3人の警官、果たして彼らはどうなってしまうのか。普通、ゾンビ映画は、世界の破滅や人類社会の崩壊を描く。だから多くの作品が「世界」や「人類」など、大きな主語を取る。しかし、本作では田舎町の警官3人が主語である。彼らは昨日まであいさつしていた顔見知りの故人と闘うしかないのだ。

 田舎町は、現代アメリカの縮図である。そこには白人至上主義者の農家、気のいい黒人の金物屋、世捨て人のホームレス、地元の経営者、配達員、給油所と雑貨屋を営むオタク、更生施設の悪ガキ、都会から来た金持ちの若者たち、町では新参の仏教にハマる葬儀屋の女性が生活している。

 本作は、そんな田舎町にゾンビが現れた様子を淡々と描いていく。作中、主人公となる警察官らは法治社会の構成員であり、現役労働世代だ。社会の情勢と結末、ある意味では台本を知りながら、三者三様の反応をとっていく。

 世捨て人のボブは「イカれた」現代社会から距離をとる。すべて他人事なのだ。ある意味で退職世代の老人を象徴している。登場する悪ガキは、次世代ながらも、現行社会のヤバさを感じて、隠れてしまう。そして、仏教にドハマりする葬儀屋は、終始、社会から浮いた宗教家だ。結局、何の役にも立たずに、ひとりで勝手に救われる。

 劇中、同じ台詞が繰り返される。それは数多のゾンビ映画へのパロディとオマージュである。同時に、何度も同じ警鐘が鳴らされてきただろう?という皮肉なのだ。「このまま進めば世界は滅んでしまう」みな同じことを言っていたはずなのに。

 ゾンビは生前の「肉」欲のまま行動する。その様子は生者と本質的に違わない。そう言わんばかりの清々しく可笑しい演出が続く。冗長な作品と見せかけて、コミカルな余韻が残る。では、なぜキリスト教徒なら「ニヤリ」としてしまうのか。理由はキャスティングにある。

 まずセレーナ・ゴメス演じる女性「Zoe:ゾーイ」の名前は、もちろん聖書に登場する「永遠のいのち」と語源においてつながっている。さらに、警察官の一人が、遠藤周作・スコセッシ『沈黙』で殉教にまで信仰を貫く「ガルペ神父」を演じたアダム・ドライバーである。

 加えて、奇抜な葬儀屋を演じた女性は、ティルダ・スウィントン。映画版『ナルニア国物語』では「白の魔女」、最近ではアベンジャーズ『ドクター・ストレンジ』の「エンシェント・ワン」を演じた。

 すなわち、本作はディズニー作品でデビューして「永遠のいのち」を手に入れたシンデレラに、異世界転生したガルペ神父が始末をつける、という構成だ。さらに「ナルニア国物語」の白の魔女が葬儀屋となって、米国社会におけるキリスト教をなぞって見せる。コメディアンのビル・マーレイ扮する警察官は笑うことなく、苛立ちながら治安維持を行う。

 誰もが機能不全に陥り、ゾンビが歩き回る社会は崩壊に向かっている――本作のキャストが浮き彫りにするのは、そんな社会風刺である。市民宗教としての「キリスト教:Amercian pop Christianity」への批判が見てとれる。終末を喧伝する宗教は社会の役に立っていない。葬儀屋のように、誰も救いはしないのだ。それなら「永遠のいのち」があってもゾンビとの違いはどこにあるのか。

 『沈黙』での殉教から数年後、異世界転生したガルペ神父が、商業主義の帝国ディズニーのシンデレラに始末をつける映画は、コミカルに「宗教」の社会的意義を問うている。(関西分室・波勢邦生)

TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開中。

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:ビル・マーレイ、アダム・ドライバー、ティルダ・スウィントンほか
配給:ロングライド
公式サイト:longride.jp/the-dead-dont-die/

Tilda Swinton stars as “Zelda Winston” in writer/director Jim Jarmusch’s THE DEAD DON’T DIE, a Focus Features release. Credit : Frederick Elmes / Focus Features © 2019 Image Eleven Productions, In.

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