【ヘブル語と詩の味わい⑥】 「並行法の種類 」、コラム②「ヘブル・ヘブライ?」 津村俊夫(『新改訳2017』翻訳編集委員長・聖書神学舎教師)

<< 並行法の種類 >>

並行法の基本形は二行詩であるが、前回見たように、二つの二行詩で四行詩を構成する場合もあれば、二行詩にプラス1行して三行詩 (tricolon) を構成する場合やマイナス1行して一行詩 (monocolon) を構成する場合もある。一番長い並行法は五行 (pentacolon) で、六行詩はむしろ二つの三行詩と捉えた方が良いと思う。具体例を取り上げる前に、「並行法」ということでどういうことを人々はイメージするのか、そもそも「並行法」とは何なのかについて、原則的なことを確認しておきたい。

 

<< 並行法とは >>

「並行法」とは、基本的には並行する二つの詩行の言語的関係のことを言う。最も短く簡潔な定義は、「並行法は二行で一つの思想を表す言語表現である」だ。言い換えれば、並行法の二行は、「一つの思想」を表現する「一つの文」を構成している、と言うことになる。

例えば、詩篇103:1

 わがたましいよ をほめたたえよ。

 私のうちにあるすべてのものよ 聖なる御名を。                

は、2行目に動詞が省略されていると考える場合、「一つの思想」が「一つの文」、すなわち重文 (compound sentence) によって表現されているということになる。この場合2行目の動詞は「省略」されているが、深層文法 (deep grammar) では元々そこにあったと見なされる。

しかし、一方で、目的語が1行目と2行目で言い換えられていても動詞は一つだけと考え、二行全体で「わがたましい、私のうちにあるすべてのものよ、主を、その聖なる御名をほめたたえよ。」と、単文 (simple sentence) で表現されていると説明することも出来る。この場合、動詞「ほめたたえよ」は1行目の「主」を水平的に、2行目の「御名」を垂直的に支配していることになる。どちらの説明も可能であるが、前者は「散文的」で、後者の方が「詩」の文法らしい。

 

[コラム]―――――――――――――――――――――――――――

②「ヘブル・ヘブライ考」

「ヘブル」という訳語は、文語訳、口語訳、新改訳という邦訳聖書の歴史において定着していたが、1987年の新共同訳以降、「ヘブライ」という訳語が使われるようになった。

原音表記を大事にするのであれば、ヘブル語 עברי を現代ヘブル語の ʿIvri(m)のように「イブリ」とするのが最もヘブル語の発音に近い。このעבריは、聖書の中では創世記14:13の「ヘブル人アブラム」で初出するが、「語形成」からすれば、10:24の「ヘブル人の祖」(「イスラエル人の祖」ではない)である「エベル」(עבר) に「~人、~語を表す」(gentilic) 語尾 ( י =-î) [現代ヘブル語の「イスラエリ」(ישראלי) はイスラエル人を意味する] が付いたものである。であるなら本来は、日本語では「エベル人・エベル語」と表記するべきであったのかもしれない。

しかし、明治以来、עבריは「ヘブル人、ヘブル語」と訳されてきた。それは、七十人訳ギリシア語聖書のἙβραῖος(ヘブライオス)の語末の「アイ・オス」(-αῖος) が省略された形から来ているようである。ここの「アイ」は、アラム語の「~人、~語を表す」語尾 [-ai]を踏襲したギリシア語の接辞であり、「オス」はギリシア語の格語尾である。従って「ヘブル」(Ἑβρ-) がヘブル語 עברי をカタカナ表記するのに一番相応しい。そのように私は考えている。

一方「ヘブライ」は、gentilic語尾を [-ay] とするアラム語とギリシア語訳に従ったことになっている。もし「ヘブル」を敢えて「ヘブライ」に変更するのであれば、「アラム語」はアラム語の語尾 [-ay] に従って「アラマイ語」としなければならないのではないかと思う。

つむら・としお 
1944年兵庫県生まれ。一橋大学卒業、アズベリー神学校、ブランダイス大学大学院で学ぶ。文学 博士(Ph.D.)ハーバード大学、英国ティンデル研究所の研究員,筑波大学助教授を経て、聖書神学舎教師。ウガリト語、 旧約聖書学専攻。聖書宣教会理事、聖書考古学資料館理事長。著書に『創造と洪水』『第一、第二サムエル記注解』など。

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