【訃報】 蓮田太二さん(慈恵病院理事長兼院長) 2020年10月25日

 はすだ・たいじ 親が育てられない子どもを匿名でも受け入れる新生児保護施設「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の創設者。10月25日、急性心筋梗塞(こうそく)のため熊本市内の病院で逝去。84歳。葬儀は近親者のみで行われた。献花は28日午前10~午後5時、カトリック島崎教会(熊本市西区島崎2の10の11)で受け付ける。花は慈恵病院が用意する。

 父親の善明さん(熊本市出身)は戦前、本居宣長研究などで知られる国文学者で、16歳の三島由紀夫を見いだした。太二さんは、善明さんが教師として赴任した台湾で1936年、次男として生まれる。62年、熊本大学医学部を卒業したのち、産婦人科医として同大産科婦人科学教室の研究員として勤務。69年、カトリックの修道会が運営する社会福祉法人聖母会・琵琶崎聖母慈恵病院に転任し、シスターらの献身的な医療に共感して病院にとどまり、71年に病院長に就任した。78年には、医療法人聖粒会慈恵病院(熊本市西区)を新たに設立して病院の運営を移管し、理事長に就任。2011年から病院長も兼務していた。近年は糖尿病のため療養中だった。

 全国で相次いだ乳児の虐待死を受けて2006年、「こうのとりのゆりかご」の設置を熊本市に申請。翌07年4月に許可を取得し、5月から日本で初めて慈恵病院で実践が開始された。「安易な育児放棄を助長するのでは」との批判もあったが、「捨てられる命を救う」との理念で活動に取り組み、20年3月末までに155人の子どもを預った。また、妊娠に悩む女性を対象とした電話相談も開始し、望まない妊娠や生活困窮などに悩む女性らの受け皿になった。親が育てられない子どもの特別養子縁組にも取り組み、300件以上の特別養子縁組につなげた。

 19年には、予期せぬ妊娠をして匿名を望む母親が、病院にだけ身元を明かした状態での「内密出産」の仕組みを日本で初めて導入。赤ちゃんの遺棄事件などを未然に防ぎ、母子の命を守る活動にも尽力した。

 著書に『ゆりかごにそっと──熊本慈恵病院「こうのとりのゆりかご」に託された母と子の命』(方丈社)、共著に『名前のない母子をみつめて──日本のこうのとりのゆりかご ドイツの赤ちゃんポスト』(北大路書房)、『手間ひまかける 気を入れる──家族が家族であるために』(女子パウロ会)などがある。

 慈恵病院は、カトリック系の医療法人聖粒会が設置・運営する病院(東京慈恵会医科大学やその附属病院とは無関係)。もともと、明治になって初めて熊本県内で福音宣教を始めたフランス人宣教師のジャン・マリー・コール神父が、熊本城に近い本妙寺に集まっていたハンセン病患者に施療していたことが始まり。1898年、マリアの宣教者フランシスコ修道会の5人のシスターがローマから熊本に着いて本格的に看護活動を始め、私立のハンセン病療養所「待労院(たいろういん)」が創設された。(クリスチャンプレス)

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