【ヘブル語と詩の味わい⑨】 「三行詩」(1)津村俊夫(『新改訳2017』翻訳編集委員長・聖書神学舎教師)

「三行詩」(1)

「並行法」を扱うときに、通常、意味の側面から論じられるが、そのゆえに、二つの詩行が並行である時に、意味の対応関係がないと「並行法」ではないのではないか、と言うような誤解もある。「二行詩」が基本であることは、その用語からも分かるが、前回見たような「一行詩」あり、一見、意味上は何の対応関係もないような「三行詩」(詩篇19:14) があることも事実である。今回は、並行法の意味的側面に注目する前に、もう少し形式的側面に目を向けておきたい。

 

<< 三行詩 >>

二世代前の S・モーヴィンケルという学者は、ヘブル語の並行法は全て「二行詩」であり、「三行詩」のような奇数行の詩の形式は存在しないと主張したが、今や、そのような考えは、ウガリト語の詩の例からも事実に即していない。ここでは、二行に一行が加わった「三行詩」について詳しく見ていきたい。

二行詩の最初の行をA行とし、2行目の行をB行とすると、二行詩は図式すれば <A // B>ということになる。2行目が殆ど1行目と変わらない場合は<”A // A’>と図式することもある。では、三行詩の場合、3行目をC行として、いつも<A // B // C>のようになるかと言えば、ことはそんなに簡単ではない。理論的に言えば次に挙げるようなパターンがあり得る。

 

 A // B // B’

 A // A’ // B

 A // B // A’

 

最後のABA’パターンは、人間の思考パターンの一つに基づくもので、第1回で観察した、はじめと終わりが対応する「インクルージオ」の表現に通じる。このABAパターンの変形が ABBAで、いわゆる「交差並行法」

 

 a – b // b’ – a’

 

である。ここで aとa’、bとb’の対応関係が「交差」しているが、そのことをギリシア文字のキー (χ)に準えて、「キアスムス」と呼ぶことがある。それゆえ複雑な「インクルージオ」を「複合的キアスムス」「キアスティック構造」「集中構造」などと呼ぶこともある。

このABAパターンに似て非なる、もう一つのパターンが私の提案してきた修辞的挿入「AXBパターン」である。このパターンは、通常は統一体を構成しているABの間に、全く異質のX要素が割り込んでくるような場合を言うが、AとBの関係は、Xが挿入された後も崩れることなく元の統一体としての関係を保っているような現象のことを言う。たとえば、三行詩

 

A // X // B

 

のような場合、A // B という「二行詩」の間に、X行という全く異質の詩行が割り込んで来る。この場合、真ん中のX行は、A // Bという二行詩全体に関わりを持っている。まず、通常よく見られる三行詩に注目し、次回AXBパターンの三行詩について触れることにしたい。

<< 具体例 >>

1) 詩篇103:17の三行詩

この詩篇は殆どが二行の並行法で書かれているが、所々に三行詩が見られる。例えば、17節は紛れもなく三行詩である。

 

 しかし 主の恵みは とこしえからとこしえまで

            主を恐れる者の上にあり

            主の義は その子らの子たちに及ぶ。(新改訳2017)

 

ヘブル語本文は

 

 wəḥesed YHWH mēʿôlām

 ʿad-ʿôlām ʿal-yərēʾâw

 wəṣidqātô libnê bānîm

 

であるので、ヘブル語の語順を反映した訳をすると、

 

 しかし 主の恵みは とこしえから

 とこしえまで  主を恐れる者の上にあり

            主の義は その子らの子たちに及ぶ。

 

となる。

各要素の対応は<a-b // b’-c // a’-c’>なので、ABA’と考えるのか、<c // c’> に注目すれば ABCとなり迷うところだ。並行法の理解の難しさは、正にこういう所にあり、それゆえに面白い所でもある。

いずれにしても、三行全体の意味は、「しかし 主の恵みと義は とこしえからとこしえまで 主を恐れる者たち その子らの子たちに(ある)」となる。

つむら・としお 
1944年兵庫県生まれ。一橋大学卒業、アズベリー神学校、ブランダイス大学大学院で学ぶ。文学 博士(Ph.D.)ハーバード大学、英国ティンデル研究所の研究員,筑波大学助教授を経て、聖書神学舎教師。ウガリト語、 旧約聖書学専攻。聖書宣教会理事、聖書考古学資料館理事長。著書に『創造と洪水』『第一、第二サムエル記注解』など。

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