【夕暮れに、なお光あり】 新年立志 渡辺正男 2021年2月1日

 新しい年になって、新型コロナウイルス感染症拡大の緊急事態宣言が再度出され、巣ごもりの日が続いています。

 そんな少々落ち込んでいる者に、友人から、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(ルカ5:4=新共同訳)と主イエスのお言葉が届きました。

 「沖」は、聖書を文字通りに訳すと「深い所」です。聖書『新改訳2017』は、「深みに漕ぎ出し」と訳しています。この「深み」の方が意味深いように思います。

 主イエスが、不漁を嘆いている漁師のシモンに、「深みに漕ぎ出してみなさい」と言われた。主イエスのお言葉には、不思議な権威と温かさがあります。シモン・ペトロは思わず、「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(5節)と答えた。素晴らしい応答ですね。

 預言者のエレミヤやホセアの言葉、「あなたがたの新田を耕せ」(エレミヤ4:3、ホセア10:12=口語訳)を想起します。

 歳を重ねた者にとって「深み」とは何でしょう。私の内にも、まだ新田が残っているのでしょうか。

 以前、国分寺教会に仕えていた時、中庭の固い地に鍬を入れ、ローズマリーなどハーブを植えました。いつの間にか、やわらかな土のミニハーブ園になりました。今はどうなっているでしょう。

 「深みに漕ぎ出す」「新田を耕す」のみ言葉は、無聊(ルビ:ぶりょう)をかこつ者に、もう一度鍬を入れてみるように、もう一度小舟を前に進めてみるように、という促しなのでしょう。

 茨木のり子という詩人がいました。『倚りかからず』という詩集などでよく知られていますね。茨木さんは、年配になってからハングルを学びました。その経験を語る「晩学のすすめ」と題する文章の中に、こういう一文があります。「自分の中に、いまだ耕されていない未知の休耕田が眠っていた。これは一つの発見であった」

 老いても、なお休耕田が眠っているのですね。思い切って鍬を入れてみる。自分なりの小舟を漕ぎ出してみる―年甲斐もなく、今そんな思いになっています。

 『新共同訳』に加えて、新しい『聖書協会共同訳』や『新改訳2017』など数冊の聖書を並べて、1日1章比べながら読み始めています。聖書の深みにわずかでも漕ぎ入れてみたいのです。年寄りのささやかな新年立志であります。

 「しかし、お言葉ですから、網を降してみましょう」(ルカによる福音書5:5)

 わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。

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