【宗教リテラシー向上委員会】 すべての民の復活日へ 與賀田光嗣 2021年4月1日

 先日、英国での任期を終え、日本へ本帰国を果たした。飛行機便は空席が目立ち、エコノミーには私の家族しかおらず、プライベートな時間を満喫できた。羽田へ着くとウイルス検査を受け、政府指定ホテルへ3日間の隔離のためバスで移動した。ホテルまでの待機時間は約9時間近くかかり、行政の各部署の連携不足を感じざるを得なかった。現在、妻の実家での11日間の自己隔離に移り、やっとこの原稿を書いている。

 1年前では考えられなかった社会へと、私たちの日常は激変した。とはいえ、まだ日本の状況はよく分からないのが正直なところだ。しかしそれでも日英の対策の違いを感じるところはある。例えば自己隔離についてである。自己隔離中であっても、日本では食料品などの買い出しは許されている。日ごとの糧の維持のためだ。一方で英国では「完全な」自己隔離となり、スーパーへ行くことすら禁じられている。では、どうやって糧を得るのか。

 現在英国では、行政主導の買い出し代行グループに連絡することができる。1年前の当初、その役割を担ったものの一つが教会だった。英国聖公会は、伝統的にイングランド国教会でもある。そのため、「パリッシュ」(教会区、小教区)という行政単位を持ち、各教会が管轄する地域の役所のような役割を担ってきた。そのような歴史的背景もあり、教会の初動は早く、さまざまなグループと共に自己隔離中の人々のための買い出し代行を始めたのだ。

 この「パリッシュ」の感覚は実に興味深い。教会の役割は、その教会に属する信徒のためにだけあるのではなく、「パリッシュ」に住むすべての人のためにあるのだ。私が住んでいた村の諸教派は協力し、シリア難民の人々を支えていた。隣人愛という言葉を受肉化したものが教会の本義であることを思い起こさせる。

 近年のサクラメント論では、イエス・キリスト自身が根源的サクラメントであり、教会は基礎的サクラメント、また七つないし二つの派生的サクラメント(洗礼や聖餐など)がある、という理解が存在する。日英の教会の規模は違えども、教会はそこに立っているはずだ。

 英国サザーク教区の司祭であるアンドリュー・ラムゼイ博士はその著『Parish』(英文)の中で、イースターのエマオへの道の話を引用しながらこう語る。

 「英訳聖書では、イエスに対しストレンジャー(見知らぬ人、余所者)という語句が使われており、ルカはギリシャ語で『paroikeis』を用いている。この語が後のパリッシュとなる。つまりイエスはここで『parishioner』となる。グレコローマン社会でこの語は、都市の境界線上に住む非市民を指す。近隣に住んではいるが、社会的に無所属の人々だ。教会とはこのようなストレンジャーの集まり──社会的な所属ではなく、ただキリストに自己の場を見つけた人々の集まりである。教会はこの原則を今こそ再発見しなくてはならない(抄訳)」

 パンデミックの世界、パンデモス(すべての民)の世界において、2度目のイースターが訪れようとしている。失意の中、沈む夕日に向かうエマオへの道において、ストレンジャーが私たちのもとに訪れる。そしてパン(糧)が裂かれた時、私たちの目が開かれる。すると、夕日を背に長くなる自分の影を見つめながら、暗闇のエルサレムへ向かう力が与えられる。主は共におられるからだ。闇の中に輝く光、復活のともし火が私たちを照らし、暖める主の日を、共に祝う春としたい。

與賀田光嗣(神戸国際大学付属高等学校チャプレン)
 よかた・こうし 1980年北海道生まれ。関西学院大学神学部、ウイリアムス神学館卒業。2010年司祭按手。神戸聖ミカエル教会、高知聖パウロ教会、立教英国学院チャプレンを経て現職。妻と1男1女の4人家族。

Photo by Pisit Heng on Unsplash

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