福島第一原発汚染水の海洋放出 閣議決定にNCCが抗議 2021年4月15日

 日本キリスト教協議会(NCC)は4月15日、金性済総幹事、内藤新吾平和・核問題委員会委員長の連名で東京電力福島第一原発トリチウム汚染水海洋放出についての政府閣議決定に抗議する声明を発表した。

 声明は昨年10月に批准された核兵器禁止条約に、「アメリカの核の傘の下での安全保障」という理由で「日本が世界唯一の被爆国としての主体性をもって加盟する責任を放棄した」ことを非難した上で、今回の閣議決定について「堅固な大型タンクによる地上での保管や、モルタル固化処分についての可能性……について検討しようとしていない」「地元の漁業に携わる人々に対して、あまりにも説明を怠った専断的な決定であり、このことはいたずらに風評被害を助長するほかない」などの理由から反対する意思を表明。

 「破滅的破壊行為に晒されて汚染されてしまったこの地球上のいのちと自然生態系に対して、わたしたちは、今一度、いのちと自然に対する畏敬と慈しみのこころを取り戻し、清らかな川のように流れさせながら、このいのちと地球環境に対する破滅的破壊行為を続ける貪欲文明の隷属から解放される道を、勇気と英知をもって決断しなければなりません」と主張し、決定の撤回を強く要請している。

 全文は以下の通り。


福島第一原発トリチウム汚染水海洋放出についての政府閣議決定に抗議します

内閣総理大臣 菅義偉 様
経済産業大臣 梶山弘志 様

 「神のかたちに似せてつくられた人間」(創世記1章26-27節)はこの地上のすべてのいのちを「治める」(創世記1章」28節)ことが人間の貪欲のためにいのちと自然を支配するのではなく、人間を含めたすべての被造物が互いに生かし合い、調和するために「耕し(アーバド=仕える)、守る」(創世記2章15節)使命を帯びていると、わたしたちキリスト者は、聖書から教えられます。

 この教えに対する人類の最大の反逆のひとつが、核兵器の発明と使用であると言えます。日本は、1945年8月に人類の暴虐としての原爆の投下を受ける悲劇を経験しました。その破滅的な苦難の歴史の中から、核兵器に反対する平和の灯火が日本からともされていくことになりました。

 しかしそれにもかかわらず、日本はその後、人間はどのような科学技術をもってしてもその有害性と危険を支配しきれない原子力を、「平和利用」という美名をもって原子力行政を推進し、大地震を起こしうる活断層が多く、津波の被害を受けやすい国土に原子力発電所を広げ、遂には2011年3月に東京電力福島第一原発において最悪の事態を迎え、「安全」神話が崩壊することになったのです。日本からはるか遠く離れた国がこの福島での原発事故から、原子力「平和利用」の虚構に気づき、大胆な政策転換を図り、脱原発の道を選択していきました。

 このような歴史から教訓を学ぶことなく、今もなお原子力行政を続ける日本は、その政治において「無責任の体系」を露呈させています。まず指摘されるべきは、昨年10月に批准され、本年1月に発効した核兵器禁止条約に、「アメリカの核の傘の下での安全保障」という理由によって日本が世界唯一の被爆国としての主体性をもって加盟する責任を放棄したことです。いまひとつは、去る3月18日以来の報道によって、日本に暮らすわたしたちを震撼させ、世界を驚かせる東京電力柏崎刈羽原発における、耳を疑う杜撰な管理の実態が暴露されたことであります。人類の英知を結集しても完全に管理統制のできない核・原子力に対して、日本の原子力行政は、いかに深い無責任の闇を抱えているかを思わずにおれません。

 去る4月13日、菅政権は、2011年以来、破壊され、以来誰も近づけない東京電力福島第一原発(1号機から3号機)の溶解した核燃料デブリから止むことなく増え続け蓄積された、125万トン以上の放射能汚染水を、海洋放出することを閣議決定しました。すでに敷地内に設置された1,061基のタンクがあと二年後には満杯になることが理由とされますが、その決定が2023年から実行されれば、それは、「多核種除去設備(ALPS)」をもってしても取り除くことのできない、現在まででも総量856兆ベクレルの放射能を持つ200トンにも及ぶ放射性物質トリチウム(β線)が今後30年から40年にわたり、太平洋に放出されることを意味します。

 わたしたちは、次の諸点について、政府の説明に深い疑義を抱き、抗議します:

1.1リットル当たりのトリチウム排出基準とされる6万ベクレル/Lに対して、海水で薄めることにより、トリチウム濃度を1/40である1,500ベクレル/Lにまで抑えると、政府は説明するが、1,500ベクレル/Lの正確な意味とは、実際には排水中に含まれるストロンチウム90などその他の放射性物質を考慮した上での、トリチウムに割り当てられた基準値である。政府はそのことを正確に伝えておらず、ただ人々の不安を解消させることがもくろまれ、結果的に誤解を与えることになる;

2.現実的には、現在のタンク貯蔵が二年後に満杯になることから、汚染水の海洋放出という方途を選択するのにもかかわらず、放出されるトリチウムの排出量と基準値の議論をすることは、いかにも後付的な詭弁を免れない。むしろ福島第一原発のトリチウム汚染水の海洋放出を断念することは、福島以上にはるかに大量のトリチウム汚染水の海洋放出が必要となる六ケ所村核燃料サイクル処理工場による海洋放出に影響をきたすことを、政府は懸念しているのではないかと疑念を抱かざるを得ない;

3.政府は、トリチウム汚染水の海洋放出以外に道はないと主張するが、専門家の指摘によると、堅固な大型タンクによる地上での保管や、モルタル固化処分についての可能性を示している。しかし、政府のこの度の閣議決定はそのような可能性について検討しようとしていない;

4.政府によるこの度の汚染水海洋放出の閣議決定は、地元の漁業に携わる人々に対して、あまりにも説明を怠った専断的な決定であり、このことはいたずらに風評被害を助長するほかない;

5.政府は、トリチウム汚染の基準値ばかりでなく、トリチウムの人体や環境への影響についてそのエネルギーは弱く、トリチウムが人の体内に長く蓄積されることなく、排出される、と説明している。しかしながら、放射性物質の体内被曝について詳しく研究する北海道がんセンターの西尾正道名誉院長によると、トリチウムの危険性についてまだ十分に解明されておらず、トリチウムが人の体の中で、「有機結合型トリチウム」に変化することにより、人体にきわめて深刻な内部被曝をもたらすことを警告している

 日本政府が言い訳的に引き合いに出すように、すでにこれまでの日本の原発、そして世界の原発は、測り知れなくトリチウム汚染水の海洋放出をしてきました。政府が、自らの汚染水海洋放出を正当化するためにそのような引用をすることは、いのちと地球の放射能汚染危機による破壊を止めるために、何の正当な意味があるでしょうか。

 去る4月8日に行われた「宗教者核燃料サイクル事業の廃止を求める裁判」第二回公判で提出された準備書面で、「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」(出エジプト記20章17節)の聖書の言葉が引用されながら、原発と核燃料サイクル事業の害悪は、人間のむさぼりの罪である、と朗読がなされました(原告・片岡輝美)。まさに、これまでの原子力事業とは、尊いいのちと美しい自然環境の生態系に対する、その破滅的破壊を顧みない人間のむさぼりの罪というほかありません。

 「川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」(エゼキエル書47章9節)

 このように破滅的破壊行為に晒されて汚染されてしまったこの地球上のいのちと自然生態系に対して、わたしたちは、今一度、いのちと自然に対する畏敬と慈しみのこころを取り戻し、清らかな川のように流れさせながら、このいのちと地球環境に対する破滅的破壊行為を続ける貪欲文明の隷属から解放される道を、勇気と英知をもって決断しなければなりません。

 以上の理由から、わたしたちは、日本政府がトリチウム汚染水海洋放出についての先の閣議決定に対して、抗議すると共にその撤回を強く要請するものであります。

2021年4月15日
日本キリスト教協議会
総幹事 金性済
平和・核問題委員会委員長 内藤新吾

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