【宗教リテラシー向上委員会】 隣人だと思っていたのに…… 山森みか 2021年6月21日

 イスラエルはファイザー製新型コロナワクチンをすでに2回接種した人が人口の6割を超え、国内におけるパンデミックはほぼ収束していた。私が勤務するテルアビブ大学も、完全Zoom授業から対面とのハイブリッド授業になり、以前の日常が徐々に戻りかけていた。だが4月中ごろから東エルサレムのパレスチナ人立退き問題などに端を発したパレスチナ人(東エルサレム住民及びイスラエル国籍保持者)とユダヤ人の衝突は、5月10日にはガザからのロケット弾/ミサイルがイスラエルの中央部にまで飛んでくるという事態にまで発展した。

 それまでもガザからは、小規模なロケット弾や、発火装置や爆発物がつけられた凧が、国境に近い南部にしばしば飛んできていたが、エルサレムやテルアビブといったイスラエルの中心部にまで届くミサイルは、事態をエスカレートさせるという明確な意志表示である。戦争には戦争固有の文法があり、この程度の攻撃にはこの程度の反撃というのがほぼ決まっている。しかも今回は、同じ場所に同時に多数のミサイルを飛ばす飽和攻撃手法が取られたようで、イスラエル側のアイアンドームの迎撃が追いつかない状況が懸念された。

 私はテルアビブよりかなり北部に住んでいるため、自宅は今回の射程距離からは外れていたが、大学は教育機関全面休校地域だったので、授業はまた完全Zoomに戻った。これまでにも大学にいる時に空襲警報が鳴って踊り場に避難したことはある。だがZoomで各人がいろいろな場所からオンラインでつながっている授業中、特定の学生だけが「警報だから」と言って離席しシェルターに走っていくのは、全員が物理的に一緒にいる時とはまた違った緊張感があった。当然出席必須にはできないし、いつ警報が鳴るか分からない状況では、なかなか勉学に集中しづらかった。

 しかし今回とりわけイスラエルに住む人々が衝撃を受けたのは、イスラエル内部における憎悪の発露であった。ガザを実効支配しているハマスなどの武装組織はもとからイスラエルの殲滅をうたっているため、攻撃を受けたり反撃したりするのはまだ論理的に納得できる。ひと口にパレスチナ人と言っても、西岸地区(ファタハが統治)、東エルサレム住民(イスラエル、パレスチナ双方が領有権を争う)、ガザ(イスラエル国を認めず、ファタハと激しく対立するハマスが実効支配)、イスラエル国内に住むイスラエル国籍のアラブ人と、それぞれ立場や考え、利害関係が違う。そして今までイスラエル国内の顔が見える場所、同じ地域、あるいは同じ建物で問題なく一緒に暮らしてきたユダヤ人とアラブ人の隣人同士が、あっという間に互いに疑心暗鬼に陥ったのは、非常に辛いことだった。

 それは具体的には、路上でのリンチというかたちで現れた。アラブ人がたまたま通りかかったユダヤ人を殴り、ユダヤ人がたまたまその場にいたアラブ人に暴力を振るう。衝撃がピークに達したのは5月12日の夜、イスラエル公共放送の撮影クルーが取材で居合わせたバトヤムという町での出来事が、テレビの定時ニュースの時間枠で生中継された時だった。そこでは、無抵抗で路上に横たわるアラブ人男性を取り囲み、興奮して殴ったり蹴ったりする世俗派と思われる服装のユダヤ人の若者たちが映し出されていた。止めようする者はなく、テレビのクルーももみくちゃにされ、警察が来てそのアラブ人を救出したのはずいぶん時間が経ってからだった。

アラブ人とユダヤ人の共存を訴え、シバ医療センターの小児科チームがSNSに投稿した写真。同チームは新型コロナ治療で最前線に立ってきた。

 戦争であれリンチであれ、あらゆる暴力が悪だというのは、ある意味正論である。兵器を用いた戦争による多くの人の死と、個人が限定的に振るう暴力をそもそも比較できるのかという問いもあろう。だが目の前にいる無抵抗で倒れている人間に対して、熱狂し、楽しみながら暴力を振るう群衆と、それを周囲の誰も制しようとしない映像は、自分たちは近代市民社会の倫理に生きていると考えている世俗派ユダヤ人にとっては衝撃だった。そのこと自体がある種の傲慢の表れだと言えるのだが、彼らはそのように「原始的な」衝動や欲求から自分たちはとっくに解放されており、そういうことは自分たちとは別の集団が行う唾棄すべき行為だと考えていたのだ。

 イスラエル公共放送の女性メインキャスターは即座に「暴力性を民族や宗教、ジェンダーなど特定の属性に結び付けることはできない。無差別にミサイルを撃ってくるハマスに打ち勝つより、この我々内部の暴力性に打ち勝つほうがはるかに困難である」とコメントした。勤務大学の総長からはその夜のうちに、「我々の大学キャンパス共同体は、イスラエルにおけるユダヤ人とアラブ人の対立が激化するこの困難な日々において、宗教、民族、信念の如何にかかわらず、安全かつ自由に、恐れることなく意見を述べられる場でなければならない」というメールが全員に発せられた。

 翌日には人文学部長から「ヒューマニズムと人間への愛に責を負うわが学部コミュニティは、この流血と互いへの信頼を失った困難な時代において敬意をもって相互の対話と安寧をはからなければならない」というメールが回った。だが翌日からZoom授業に出る学生の数は減り、出席している学生も「外に出るのが怖い」とか「ビデオをONにしたくない」などと言うようになった。今まで朝な夕なにあいさつを交わしていた異民族の隣人同士が、互いに接触するのを恐れるようになったのだ。定時ニュースのトップは、ミサイルからイスラエル国内での暴力の発露と、それをどう解決するかに移った。

 紛争になると、SNS上に多くの「これが真実だ」という写真が回る。その中には多くのフェイク写真も含まれている。フェイクであろうがなかろうが「自分たちの集団の一員が、敵の集団によってこんな酷い目に合わされている、復讐せねば!」というメッセージと共に拡散される写真は、その敵と見なされた集団を悪魔化し、目の前にいるのが1人の個人であることを忘れさせる。今回は特にそのような煽動が、意図的あるいは自然発生的に拡散されたようだ。

 もちろん暗いニュースだけではなく、そのような空気の中でもアラブ人居住区に迷い込んだユダヤ人をガードして安全な場所に脱出させたアラブ人や、共存のメッセージと共に路上に出てデモをする両民族の人々がいた。ユダヤ人とアラブ人が共に働く職場の人々は一緒に集合写真を撮り、SNS上に拡散させた。

 幸いハマスとイスラエルは5月21日に無条件での停戦合意に達し、何の根本的解決もないまま事態はとりあえず鎮静化して日常が戻ってきた。だがイスラエル社会の内部に入った亀裂の修復、そして自分たちの内なる暴力性を突きつけられた世俗派ユダヤ人の自らのあり方への見直しには時間がかかるだろう。「共存」という言葉には何が含まれるのか、にこやかにあいさつしたり店で買い物をしたり、安い労働力として利用したりしていればそれでよしとするのではなく、真に対等な立場で同じ市民として生活していくにはどうすべきかが問われている。

山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
 やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。

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