【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 父の説教を「み言葉」として聞けない 西岡まり子

Q.父の説教をどうしても神さまのみ言葉として聞くことができません。礼拝での父は、別人格として見るべきでしょうか。(20代・男性)

 ナザレでは、イエスは歓迎されませんでした。「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」(マタイ13:57)。これは、預言者時代からの普遍的な現実かもしれません。この身内感を突き抜け、父の言葉を神の言葉として聞けるようになることは、奇跡に近いものではないでしょうか。そういう私も、父の説教を神の言葉として聞くまで時間がかかりました。娘たちもその葛藤を通っているようです。

 ところで、あなたはお父さんの説教を聞いてどのような思いになりますか? 三つの反応を挙げてみました。

①「お父さん、もっとこう言えば聴衆に受けるのに……」と身内心配型。

②「家庭内の恥じさらさないでよ」と暴露心配型。  

③「言ってることと、やってることが違うじゃないか!」と批判型。

 ご自分の反応の型から、説教者との関係が見えてきます。身内心配型の場合は、お父さんと、あなたの感覚のずれがあるようですね。そのずれは、本人に伝えることが、説教者と聴衆の益になることもあります。ずれたままでもみ霊によって神の言葉が伝わることもあるでしょう。暴露心配型の場合は、暴露してしまう父に配慮の不足を感じます。

 私事ですが、妹が小学生の時に、失敗談を承諾もなく話したことを父に泣いて抗議したことを覚えています。説教者に家族への配慮を求めたいものです。批判型の方は、父への反発がその根底にあるのでしょうか。父のどのようなことごとに反感を覚えていますか? もしかしたら、それは子だけが知る父の弱さかもしれません。罪人の父が、神の代弁者としての召しに立っています。時を見て、父に打ち明けるのはいかがでしょうか。父も子の真摯な言葉には耳を傾けると思います。

 神の言葉が、説教者の人格を通して語られるようにされたのは、神ご自身です。説教者と聞く者の姿勢と両者の関係に神が介入されようとしているのではないでしょうか。

 にしおか・まりこ 東京聖書学院、タルボット神学校(結婚・家族ミニストリーの修士)卒業。日本ホーリネス教団川越のぞみ教会で夫と共に牧会。結婚カウンセリング 「プリペアー/エンリッチ」の日本推進委員。ファミリー・フォーラム・ジャ パン評議員、臨床牧会研究会・結婚カウンセリング部門担当委員、3人娘の母。

 

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