教皇、プラチド・コルテーゼ神父など3人を「尊者」に 2021年9月2日

 バチカン・ニュース(日本語版)によると、教皇フランシスコは8月30日、列聖省長官マルチェッロ・セメラーロ枢機卿と会談した際、プラチド・コルテーゼ神父など3人の「神の僕=しもべ=の英雄的徳」を認める教令を承認した。3人は新たに「尊者」の敬称を付けて呼ばれる。

 新たな尊者3人は次の通り。

▼プラチド・コルテーゼ神父(司祭・コンベンツアル聖フランシスコ修道会、1907~1944年)=写真
 1930年に司祭に叙階され、イタリア・パドヴァの聖アントニオ大聖堂で奉仕、後に月刊誌「メッサジェーロ・ディ・サンタントニオ」の編集長を務めた。第二次世界大戦中、当時の駐イタリア教皇大使からの委託で、パドヴァ近郊の収容所のクロアチアやスロベニア出身拘留者の世話を行ったほか、43年のイタリア・連合軍間の休戦協定締結後は、連合軍兵捕虜や、ユダヤ人をはじめナチスに迫害されている人々を逃がすための助けをした。これが、ナチス・ドイツから政治的活動と見なされ、44年、修道院から連行され、拷問の末、亡くなった。

▼マリア・クリスティーナ・チェッラ・モチェリン(信徒・家庭における母親、1969~95年)
 ミラノ近郊に生まれ、高校時代、「ドン・ボスコの扶助者聖母会」の共同体で召命識別の歩みを始めたが、16歳で、後に夫となるカルロと出会い、自分は家庭生活に召されていることを確信した。2年後、左足にサルコーマが発生するも、治療を続けながら高校を卒業。1991年に結婚したカルロとの間に、2児を授かった。第3子を妊娠したばかりの時、病気が再発し、胎児に影響を与えない治療を選択。その頃、誕生を待つ第3子に宛て、「リカルド、あなたはわたしたちへの贈り物です……一人の子のために耐える価値のない苦しみなどこの世にはありません」と手紙を記した。44年、リカルドを出産後、標準的な治療を再開したが、95年に亡くなった。

▼エンリカ・ベルトラメ・クアットロッキ(信徒、1914~2012)
 福者ルイジ・ベルトラメ・クアットロッキと福者マリア・コルシーニ夫妻の第4子として生まれ、キリスト教的な愛と信仰の息づく家庭の中に成長した。司祭になった2人の兄と、修道女になった姉と同様の道を歩もうとしたが、エンリカの召命は高齢の両親のもとに留まりながら、自らの信仰を歩むことにあった。「聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会」、赤十字、カトリック・アクションなどの活動を通し、貧しい人々や病者に奉仕した。大学で美術史を専攻、卒業後、高校で教鞭をとった。1976年、文化財・環境省の管理責任職に就いた。病気や様々な困難の中でも聖体と祈りを中心とした生活を続け、晩年は危機にある夫婦たちのために信仰のメッセージを伝えていた。(CJC)

By messaggero di S.Antonio (religious magazine) - fotografia d'archivio, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6909633

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