【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 牧師にも「社会人経験」が必要? 塩谷直也

Q.牧師は世間知らずで非常識だとよく言われますが、牧師にも「社会人経験」が必要ですか?(20代・神学生)

 「社会人経験」、すなわち世間の厳しさに耐えた経験こそが、聖書理解や説教、伝道に役立つ。教会しか知らない「世間知らず」ではなく、社会人経験のある人こそが、一般の教会員の気持ちにも寄り添える。だから、「良い牧師」になる前に社会人経験を積むべきではないか、との問いかけでしょうか?

 社会人経験を経てから牧師になった、本当に素敵な方を知っています。でも私はその方が、社会人経験を経たから「良い牧師」になった、とは考えません。その方はおそらくすでに社会人のときから「良い人」だったのです。「○○の仕事を経た結果、ガラッと変わって良い牧師になるのです」なんてありえるのでしょうか?(あるなら教えてください!)

 また牧師になる準備のために社会人経験を積む、ある会社に勤めるというのも失礼な話です。牧師になるための方策・手段として、一つの職業を通過点として利用することは、その職業と職場に心血を注いでいる人々を軽んじることにならないでしょうか?

 確かに社会人経験の只中、神の招きに抗しきれず、止むに止まれず牧師になることはあります。しかし社会人経験が牧師になるための必須条件である、との主張は言い過ぎでしょう。

 ただ、社会人経験がものを言う、どうにも困難な教会運営の局面は多々あります。そのときは、あなたよりも何十倍も社会経験のある信徒に教えを請えばいいのです。きっと喜んで教えてくれるでしょう。そのような謙虚な交わりを通し、教会は相互の信頼関係を築き上げていくのではないでしょうか。

 あなたのなすべきことは、世間の消息をあたふたと身に着けることではないと思います(どんなにがんばっても世間のことは信徒にはかなわないでしょう)。1日でも早く、「最も大切なこと」(コリントの信徒への手紙一15:3)つまり十字架と復活を伝えることの修練に、人生を献げることです。

 しおたに・なおや 青山学院大学宗教部長、法学部教授。国際基督教大学教養学部卒業、東京神学大学大学院修士課程修了。大学で教鞭をとる傍ら、社会的な活動として、満期釈放を迎える受刑者への社会生活を送るための教育指導をはじめ、府中刑務所の教誨師として月1度ほど、受刑者への面談や講話を行う経験を持つ。著書に『忘れ物のぬくもり――聖書に学ぶ日々』(女子パウロ会)、青山学院大学の人気授業「キリスト教概論・Q&A」が書籍化された『なんか気分が晴れる言葉をください――聖書が教えてくれる50の生きる知恵』(保育社)など多数。

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