【宗教リテラシー向上委員会】 羅針盤としての建学の精神 與賀田光嗣 2021年10月11日

 勤務先の一つ、神戸国際大学附属高等学校はスポーツ強豪校である。今年、硬式野球部は春夏甲子園連続出場を果たした。夏の大会ではベスト8に入り、本校の名を耳にした読者も多いかもしれない。常に接戦を戦い続けた本校の生徒たちを称えたい。夏の甲子園の最中、本校の名がネット上で話題となった。どうやら校歌に唐突と現れるカタカナ「セントマイケルズハイスクール」という言葉に興味が持たれたようだ。

 聖公会系の学校は英語名を持つことが多い。立教大学はSt Paul(聖パウロ)、桃山学院はSt Andrew(聖アンデレ)、平安女学院はSt Agnes(聖アグネス)と、いずれも聖人の名が付けられている。神戸国際大学附属高校の場合はSt Michael(聖ミカエル)の名が付けられている。本校の創立者である八代斌助主教の洗礼名ミカエル、また本校設立の母体となった神戸聖ミカエル大聖堂、日本の守護聖人であるミカエルに由来する。そのため本校の創立記念日は9月29日、「聖ミカエルおよび諸天使の日」である。ミカエルの英語読みはマイケルなので、校歌に「セントマイケルズハイスクール」と歌われるわけである。

 名は体を表すというが、ミカエルはヘブライ語で「誰が神に比べられようか」という意味である。転じてラテン語ではQuis ut Deus(クイス ウト・デウス)と書かれる。ミカエルの絵画や像を見ると、ミカエルに剣や盾を持たし、盾にQuis ut Deusと刻まれていることに気づく。人間は自己中心性の誘惑、自分を神とする誘惑に陥る。だからこそ私たちは「誰が神に比べられようか」という盾で守らなければならない。すなわち、「謙遜」という盾である。人生を戦いにたとえるならば、それは誘惑との戦いである。その手に「祈り」という剣を持つようにと勧められるのだ。

 だから、主の祈りでこう祈るのである。「わたしたちを誘惑に陥らせずに、悪からお救いください」(聖公会/ローマ・カトリック共通訳)。この祈りは自分のためにだけ祈るものではない。すべての「わたしたち」と共に祈るのである。すべての人が命を与えられ、愛され、同じように自己を神とする誘惑に陥るからである。自分を中心にするのではなく、神を中心とする。神を中心とするからこそ、自分と同じように命を与えられた隣り人を愛する。旧約聖書全体をイエスは「神を愛し、隣人を愛せ」と要約し、その生涯を持って示した。

 この聖書の本質を、八代斌助主教がアレンジしたものが、当校の建学の精神である「神を畏れ 人を恐れず 人に仕えよ」である。神を畏れる、畏怖する。自分を中心としない。それは謙遜さにつながる。そして人間は平等に命を与えられているのだから、人間に対して恐れる必要も、忖度する必要もない。むしろ、私たちは誰かに仕えるように、愛するように求められているのである。

 この建学の精神が刻まれた石碑は、生徒たちが必ず目にするところに建てられており、暗唱できる生徒もいる。建学の精神とは、さながら羅針盤のようなものだ。教会はしばしば船にたとえられるが、キリスト教学校も同様である。社会の変化が激しく、将来の予測が困難なこの時代だからこそ、キリスト教学校は神から与えられた建学の精神に立ち返り、航海を続けていかなければならないだろう。

與賀田光嗣(神戸国際大学付属高等学校チャプレン)
 よかた・こうし 1980年北海道生まれ。関西学院大学神学部、ウイリアムス神学館卒業。2010年司祭按手。神戸聖ミカエル教会、高知聖パウロ教会、立教英国学院チャプレンを経て現職。妻と1男1女の4人家族。

連載一覧ページへ

連載の最新記事一覧

TO TOP