【夕暮れに、なお光あり】 記憶というメニュー 川﨑正明 2021年10月21日

 かつて私は幼稚園の園長を3年間したことがあったが、卒園式でうたった「思い出のアルバム」という歌を忘れない。「いつのことだか おもいだしてごらん/あんなこと こんなこと あったでしょう……」

 6節まで続くが、その間に幼稚園の春夏秋冬の思い出をうたい、最後に「もうすぐみんなは いちねんせい」とうたって送り出す。

 高齢者になった今、自分の来し方をこの歌詞を重ねて「あんなこと こんなこと」を思い出す。それは人生の記憶というメニューを見るようなもので、年齢を重ねた分だけ多種多様にわたる。読んだ本の味わい、出会った人々との交流、思い出のアルバム、人生の価値観を変えたハンセン病回復者との出会い、感動した四季折々の景色、怪我で何度も経験した入院生活、家族のぬくもりと妻との死別など、記憶のメニューは盛りだくさんである。記憶と言えば後ろ向きのイメージがあるが、それは前向きに後ろを振り返るという意味である。今の私には「記憶という食べ物」が、今を生きるエネルギーになっている。

 究極のメニューは、聖書という食卓であろう。そこには旧約・新約あわせて66巻のメニューがあり、それぞれの時代の中で登場する人々と神との出会いの記憶の物語がある。その味わいについて、古代の詩人は「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」(詩編119:105=口語訳)と、主の言葉(律法)こそがご馳走であるとうたっている。

 私は高校1年生の時、「キリスト我が内に在りて生くるなり」(ガラテヤ書2:20=文語訳)という聖句に出会って洗礼を受けた。この記憶は、私のいのちの根幹となるものであり、生命を維持するために必要不可欠な血液のようなものである。 

 ただ、現実の私がいただくメニューの側には、血糖値を計る器具や食前食後に摂取するインスリンと薬が常備されている。手帳に書いた血糖値とHbA1c(へモグロビンエーワンシー)の数値の記録も記憶に新しい。日々老いていく身体のメンテナンスによって体調を整えながら、「記憶というメニュー」に向き合っている。今の心境を、「思い出のアルバム」の替え歌で味わいたい。

 「私の人生思い出してごらん/あんなこと こんなことあったでしょう/神の愛に生かされて ひとあしまたひとあし/まだまだ続く 老いの旅路」

 かわさき・まさあき 1937年兵庫県生まれ。関西学院大学神学部卒業、同大学院修士課程修了。日本基督教団芦屋山手教会、姫路五軒邸教会牧師、西脇みぎわ教会牧師代務者、関西学院中学部宗教主事、聖和大学非常勤講師、学校法人武庫川幼稚園園長、芦屋市人権教育推進協議会役員を歴任。現在、公益社団法人「好善社」理事、「塔和子の会」代表、国立ハンセン病療養所内の単立秋津教会協力牧師。編著書に『旧約聖書を読もう』『いい人生、いい出会い』『ステッキな人生』(日本キリスト教団出版局)、『かかわらなければ路傍の人~塔和子の詩の世界』『人生の並木道~ハンセン病療養所の手紙』、塔和子詩選集『希望よあなたに』(編集工房ノア)など。

Photo by Spencer Davis on Unsplash

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