【宗教リテラシー向上委員会】 クリスマスシーズンが伝えるもの 與賀田光嗣 2021年12月25日

 先日、勤務校のチャペル点灯式礼拝が行われた。アドベント(降臨節)には少し早いが、期末試験などの関係もあり11月19日にチャペルはイルミネーションに彩られた。点灯式礼拝に多くの生徒が参加し、その後、写真撮影が行われた。道行く人々も足を止め、チャペルの光に目を奪われていた。私もスマートフォンでチャペルを撮り、その場で写真を確かめると、初めて星の異変に気づいた。月食だった。点灯式は、月の98%が地球の影に入るほぼ皆既日食の当日だった。

 英国の田園地方に住んでいるころはよく星空を見上げたものだが、街の明かりが強い神戸で勤務するようになり、夜空に目をやらなくなった。クリスマス(降誕日)を告げる星の瞬きを多くの人が見落としたことを思い起こす。星の異変に気がついたのは寒空の下、社会的抑圧の中で働き続ける羊飼いたち。また、異能とされ畏れられ厭われた東方の三賢者らではなかったか。しかし、星の輝きに気づけないヘロデたちの上にも、同じように光が輝いている。

 クリスマスシーズンは、12月24日、25日では終わらない。アドベントから始まり、顕現日まで続く。聖公会の教会暦に目をやると、26、27、28日は連続して大祝日(聖餐式を行う日)となっている(今年は26日が日曜のため、27~29日)。

 翌26日は「最初の殉教者聖ステパノ日」である。彼は殉教時、十字架のイエスと同じように、自分を傷つける人々のために祈った。祝福を求めることの意味を教えられる。病める時も健やかな時も、祝福を求めること――それが神の栄光を現わす第一歩となっていく。

 続く27日は「福音記者聖ヨハネの日」である。伝承によれば、使徒の中でヨハネは唯一殉教せず天寿を全うした。独り生き残り、彼は何を考えたのか。残された福音書から、彼が神の栄光を記そうとしたことが読み取れる。さまざまな人間の姿を通して、どのように神の栄光が現われたのか。そこが重要だったのだ。

 そして28日は「聖なる幼子の日」である。イエス誕生後、ベツレヘムで起こったヘロデによる2歳児以下虐殺事件を思い起こす。幼子イエスを抱えたヨセフと産後すぐのマリアはエジプトへ逃れた。聖家族は政治難民だった。英国での息子の同級生はシリア難民であり、地域の教会のサポートを受けながら生活していた。戦禍を逃れた幼き彼の目に、クリスマスはどのように映っただろう。

 クリスマスの3日後に「聖なる幼子の日」が来る。世の悲惨さに目を向け、祈りを促すためである。クリスマスは、人間の内なる暗闇を払い、神が照らし出す世界と出会うようにいざなう季節だ。天の光は、私のように星の変化に気づけない者にも等しく降り注いでいる。幼子として来られたイエス自身が吹けば消えてしまいそうな存在である。か細いロウソクの光のように、明るさの中では見ることができない。しかし、近づくとロウソクのともし火は温もりを教えてくれる。

 神の栄光は、アドベントのロウソクのように、確かに隣人との交わりの中に輝いている。だからこそクリスマス当日、天を見上げず星に気づかない者にも「大栄光の歌」を祈ることが許されている。たとい、地上の世界と人の内面が皆既月食のように暗い影に覆われていたとしても、なお温もりを交換し神の愛に生きることができるように。

 「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、人には恵みあれ」

與賀田光嗣(神戸国際大学付属高等学校チャプレン)
 よかた・こうし 1980年北海道生まれ。関西学院大学神学部、ウイリアムス神学館卒業。2010年司祭按手。神戸聖ミカエル教会、高知聖パウロ教会、立教英国学院チャプレンを経て現職。妻と1男1女の4人家族。

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