【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 定年後の「召命」に躊躇 森 真由美

Q.定年後に「召命」を与えられたのですが、奉仕できる期間が短いことを考えると牧師として献身すべきか躊躇しています。(60代・男性)

 時が早いとか遅いとか、時間が短いとか長いとか、私たちはあれこれ考える者ですが、「すべてに時機があり」(コヘレトの言葉3章1節)、時間の長さも主のみ手の中にあるのだと思います。献身の期間の長短ではなく、あなたの名前を呼ばれるイエス様と心を一つにする生き方こそ何にも換え難いことです。

 主と心を一つにする人にとっては、召命が与えられたなら自らをその特定の役目に献げる以外の道はあり得ないのではないでしょうか。ただ召命の確信ということになると、自信が持てなかったり迷ったりするものです。待っているだけの期間や、回り道や軌道修正もあるでしょう。自らの役目を明確に自覚していたパウロは、走るべき行程をひたすら走り尽くしました。しかし多くの人は迷いながら、一歩一歩、主によってその道を確かにされていきます。

 神のみ心の「絶対性」とそれを知ろうとする私たちの「相対性」を謙遜に受け止めるなら、迷い躊躇し考えあぐねることも人間の姿だと頷けます。しかしそれでもなお、み声を求めて毎日を生きることで神さまとの関係は深まっていきます。主との関係の深さは、年齢にも信仰年数にも社会的地位にも教会の役職にも関係ありません。生きて働く神との人格的な交わり――今日生きていてあなたや私に語る神――を求めることにすべての答えがあるのだと思います。

 あらゆる類の迷いやトラブルも私たちの心が神に対していかにあるかが試され、関係が深められるためのものです。また、巧妙な敵がいかにあなたを霊の戦いに誘おうとも(自力で生きよと敵は言う)、もしあなたが主への信頼の象徴であるいのちの木の実を取って食べるなら、主は微に入り細に入りあなたを導いてくださいます。

 そのように、ますますあなたは神を知る人となり、とかく日常に埋もれてしまいがちな迷える羊の私たちを、見えないものに目を留める霊のモードに導いてくれる牧師となっていくことでしょう。

 もり・まゆみ 臨床心理士。大学で聖書神学を学んだ後、英国留学、私立中高聖書教員等を経て臨床心理学を学ぶ。これまで主に教育分野でカウンセラーとしての経験を積む。東京神学大学講師、スクールカウンセラー。クリスチャン・メンタルケアのあり様を模索している。

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