【宗教リテラシー向上委員会】 他者をとっさに受け入れられるお寺へ 池口龍法 2022年2月11日

 東日本大震災のあと、被災地のお坊さんたちがどう生きたかを扱った「東日本大震災と仏教」というドキュメンタリーフィルムがある。禅の研究のためにドイツから来日していたティム・グラフ氏が、震災直後からお盆までの約半年かけて東北地方沿岸部のお寺を取材してまとめた、きわめて貴重な記録映像である。

 いまだに私の心に残っているのは、浄土宗浄念寺(宮城県気仙沼市)住職の故・高橋清海さんの豪快な語り口である。高橋住職は、檀家からの寄付で3カ月前に再建された真新しい本堂を、檀家であるかどうかにかかわらずあらゆる人へ開放し、毛布などの必要な物資を提供した。さも当たり前のようにカメラに向かって語っているが、当たり前にできることではあるまい。

 震災から数年が経ったころ、私は浄念寺を訪ねた。まだ新しさの残る本堂の畳に、似つかわしくない黒ずみがあった。熱いやかんを置いて焦がした跡である。震災直後、本堂にはおよそ300人以上が寝泊まりしていたという。火の気の管理が行き届かないのはおそらく承知だっただろうが、それでも寒い東北の3月ならやはり温かいお茶を出してあげたい。避難してきた方々に尽くしたことが偲ばれる痕跡だった。

 黒ずみを見ながら誇らしく語る現住職の高橋一世さんを前に、私は自分に問いかけていた。「預貯金をはたいて新築したばかりのマイホームに、被災した人が駆け込んできたら受け入れるだろうか」と。「イエス」と言うべきだと考える自分と、本音では「ノー」と言いたい自分の間で、揺れた。いま問い返してみても、宗教者然として100%「イエス」だと言い切れる自信はない。

 フィルムの中では、逃げてきた被災者をわずか2日間で追い出した宗教施設もあったと語られている。「ひどいよな」と馬鹿にしつつも、「人間臭いなぁ」とほっとしたところもあった。しかし、お坊さんとして生きるなら、できる限り浄念寺のごとくでありたいと願い、今日まで宿題として抱いている。

 まだ明確な答えが出せたわけではないが、とっさの時に正しい判断を下すためには、日ごろからコミュニケーションの積み重ねが欠かせないと思う。「宗教リテラシー向上委員会」の連載を通じて、キリスト教をはじめ、仏教とは異なる信仰を持つ人々と出会わせていただいた。いまでもキリスト教の信仰はまるで分からないが、キリスト教徒の皆さんを「えたいが知れないけれど信条をもって生きている人たち」ぐらいには、親しみを持てるようになった。「宗教リテラシー」が向上したと言えるのかもしれない。天災地変で避難してお寺に来たら、割と抵抗なく受け入れられる気がする。

 5年近くこの連載に携わってきたが、振り返ってみれば私自身がすごく成長させてもらえた。「次年度も連載を」と誘っていただいたことには感謝しているが、浄土宗の私から他の宗派のお坊さんにバトンを譲った方が、読者には違った視点から仏教に出会ってもらえると信じ、私のわがままを聞いてもらった。

 日本仏教では俗に「十三宗五十六派」と呼ばれるほど、多くの宗派がしのぎを削っている。こんなに分派しているのは日本ぐらいで、「ガラパゴス化」していてとっつきにくい部分も否めないが、それぞれの宗派の生態に興味をそそられ始めたら、こんなにワクワクできる宗教文化はない。4月以降担当されるお坊さんの原稿を、ぜひ楽しみにお待ちいただきたい。

 長い間、お付き合いいただきありがとうございました。

池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)
 いけぐち・りゅうほう 1980年、兵庫県生まれ。京都大学大学院中退後、知恩院に奉職。2009年に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させ代表に就任、フリーマガジンの発行などに取り組む(~15年3月)。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)/趣味:クラシック音楽

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