【空想神学読本】 愛とゆるしの悪魔の福音書『チェンソーマン』 Ministry 2021年夏・第48号

 「このマンガがすごい!2021」のオトコ編第1位に選ばれた『チェンソーマン』(藤本タツキ)は、悪魔の力を宿したアンチヒーロー、デンジの血しぶきあげる活躍を描くダークファンタジー。その設定には古今東西の映画や漫画、宗教や神話などからの引用が多く見られる。なかでもキリスト教要素が強く、登場人物に(中世神学の)9階級の天使たちの名が付けられているほか、ヨハネの黙示録の4騎士、回る炎の剣、十字架、ミルトンの「失楽園」の挿絵などがモチーフとして使われている。

支配/被支配の関係

 本作は単純なアクション漫画に見えて、人間心理に深く切り込んでいる。特に「支配」や「洗脳」は本作の重要なテーマの一つだ。

 「支配の悪魔」であるマキマはその能力を使って他者を無理やり従わせもするが、典型的な洗脳の手法を使って他者が自ら従うようにも仕向ける。そのターゲットとされた一人が、主人公のデンジだ。

 借金まみれの極貧生活を送るデンジは、パンにつけるジャムさえ買えない。家族もなく、友人もなく、話し相手は「チェンソーの悪魔」のポチタだけ。そんなデンジにマキマは優しく語りかけ、仕事を与え、衣食住を与え、疑似家族を与える。やっと「普通の暮らし」を手に入れたデンジはマキマに忠誠を尽くし、恋愛感情さえ抱く。

 しかし、すべてはマキマの策略だった。デンジが擬似家族を愛するようになったのを見計らい、マキマはそれを残酷な方法で奪い取る。絶望したデンジはその痛みから逃れるため、「マキマさんの犬になりたい」と全てを放棄してしまう。洗脳の完了だ。その過程はカルト宗教にのめり込み、気づけば抜け出せなくなってしまった信者のそれを彷彿させる。

 そんなデンジを救い出し、マキマから逃れさせたのは、デンジの中に流れていた擬似家族、パワーの血だ。「大切な人とのつながりが洗脳を解く」という提示が本作では何度か繰り返される。それは、カルト宗教からの解放にも通じるだろう。

 しかし、洗脳する側のマキマも悪役として一方的に描かれていない。彼女は「支配の悪魔」であり、相手を支配することでしか関係を築けないのだ。「支配の悪魔はね、ずっと他者との対等な関係を築きたかったんだ。」というポチタの言葉に、マキマの密かな苦悩が垣間見える。

 現実世界にも、信者を意のままに操るカルト教祖、パートナーを力でねじ伏せるDV加害者、部下に強権を振るう上司など、相手を支配することでしか関係を築けない多くのマキマが存在する。被害者がケアされなければならないのはもちろんだが、そういった加害者も適切に対応されなければ、支配/被支配の関係は根本的に解決しない。本作はマキマを通してそう示唆しているようでもある。

キリスト教の裏返し

 ポチタと融合した主人公デンジは、チェンソーマンという悪魔に変身して悪魔と戦う。そのチェンソーはほぼ何でも切り刻むが、失血すると力を失う。血がエネルギー源なのだ。弱ったチェンソーマンは血を飲むことで回復し、血さえあれば三日三晩でも戦い続ける。旧約聖書の「血を食べてはならない」(レビ記7章26節=口語訳)に真っ向から逆らう設定だ。

 「チェンソーマン」はこのように(どこまで意図したか不明だが)、キリスト教の教えを反故にしたり、裏返したりしている。

 第一部の終盤になって、「チェンソーマンが食べた悪魔はその名前の存在が消えてしまう」という秘密が明かされる。倒した相手を概念ごと消し去ってしまうのだ。例えば本作では「ナチス」や「第二次世界大戦」といった存在が人々の記録や記憶から消えている。つまりチェンソーマンは「有を無に帰する」力を持っている。「無から有を創造する」聖書の神の裏返しだ。

 またデンジの上司、マキマは内閣総理大臣と(おそらく強制的に)契約し、自身が受けたダメージを適当な日本国民に転換するようにしている。例えばマキマが殺害されると、他の誰かが命を落とし、本人は復活する。日本国民1億人が彼女の命なのだ。これは人類のために命を捨てたキリストの裏返しであり、マキマは全国民を犠牲にして生きる。

 デンジは最終決戦においてマキマをチェンソーで切り刻み、復活できないように小分けに調理して食べてしまう(本作で最もシュールな展開の一つだろう)。キリストのからだと血を覚えて行う聖餐の、パンと葡萄酒でなく本物を使ったバージョンだ。しかしデンジはその行為について「俺も一緒に背負うよ。マキマさんの罪」と言っており、「キリストの十字架のゆえに罪をゆるされた」というキリスト教の教えをここでも裏返している。

 ちなみにマキマの切り刻んだ体を冷蔵保存し、日々調理して粛々と食べていくデンジの姿には、プロテスタント教会で行われる聖餐式のような厳粛ささえある。

 では「チェンソーマン」はキリスト教に反する罪深い漫画かというと、そうではない。細部の設定や描写はどうであれ、その本質はむしろキリスト教の目指すところに近い。

 第一部の最終話、デンジはマキマの生まれ変わりである少女ナユタを引き取る。彼女もまた「支配の悪魔」であり、マキマのような脅威となり得る存在だった。デンジはそんなナユタを家族として扱い、優しく抱きしめる。マキマがどんなに願っても得られなかったものを、思いっきり与えるかのように。デンジは詰まるところ、自分を利用し殺そうとしたマキマを心から愛し、ゆるしていたのだ。

 血しぶきと残酷描写が盛りだくさんの、シュールでクールな悪魔たちの漫画「チェンソーマン」は、その荒々しい表層に反して、切なくも深い愛をテーマとしている。愛とゆるしの、悪魔の福音書なのだ。

河島文成(フリーライター)

*参考文献:『MSムック チェンソーマン 考察の悪魔』荒木三郎(メディアソフト)

【作品情報】

 騙され借金まみれで、貧乏な生活を送っていた少年デンジ。チェーンソーの悪魔のポチタと共にデビルハンターをしながらどうにか生きていたが、ある日残虐な悪魔に狙われてしまい…!?

■作者:藤本タツキ
■発行年:2019年~2021年
■掲載誌:週刊少年ジャンプ
■巻数:全11巻
■発行部数:930万部(2021年4月時点)
■出版社:集英社

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