【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 高齢者への配慮を 白井幸子

Q.聖書が重くて持ち歩けず、字も小さくて読めません。礼拝も長時間座っているのは苦痛です。もう少し高齢者への配慮が必要ではありませんか。(80代・女性)

 聖書が重くて持ち歩けない、という悩みをお持ちの方はかなり多いのではないかと思います。聖書を持参できない人のために、多くの教会で以前からさまざまな工夫がなされています。

 備え付けの聖書を準備しておく。希望する人の聖書を教会に保管しておく。その日の聖書の箇所をコピーして配布する。会堂の壁にその日の聖書の箇所を映し出す、などはその一例です。

 大切なのは礼拝で語られる神のみ言葉ですから、聖書を持ち運ぶことが困難な場合は、自分の聖書を持たずに来られることをお勧めいたします。目で読むのではなく、耳で、あるいは、心でみ言葉を聴くということで十分と考えられます。

 日本でも長寿社会が実現し、このような悩みが切実である時代を迎えていますが、歳をとっていつまで礼拝に出席することができるかという問題については、三つの段階を考えることができるように思います。

 第一の段階は、若く健康で礼拝出席が体力的に自由であるとき。第二は、礼拝に何とか出席はできるが、聖書が重く、長時間の礼拝出席が忍耐を要するようなとき。そして第三は、日常的に介護を要する段階に入って、礼拝に出席することはとうてい無理と考えられるときです。

 歳をとっても元気に働き続け、あるとき、長わずらいせずに痛み苦しみの少ない死を迎えることができれば、と多くの人は考えます。それが理想であると。しかし、人の生死は神のみ手にあり人間の願い通りになるとはかぎりません。

 高齢化と共に、どこの教会でも、礼拝出席が体力的に困難になっている人々がすでに多数を占めるようになっています。 そして、神のみ言葉が必要なのは、礼拝に自由に出席可能な人々以上であっても、以下ではないのです。

 礼拝に出席することが困難になった人々に、福音が続けて届けられるために、私たちは、これまで以上に努力と工夫の必要な時代に生きていると考えられます。

 しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。

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