【夕暮れに、なお光あり】 新たな段階 渡辺正男 2022年5月11日

 引退して10年以上となり、新たな段階に入ったように思っています。気力体力は歳相応に衰えてきていますし、食も細くなり、日課のウオーキングも歩数が減ってきています。けれど、その少ない食事をより味わうようになり、自然の変化や美しさにも以前に増して関心が向くようになっています。新しい世界が開けてきたようなのです。

 ドイツのヘルマン・ヘッセの詩「階段」の一節を思い起こします。「人生の階段ごとに 心は別れと再出発の準備をせねばならず、/勇気を身にまとい 嘆くことなく 別の新しい絆に身を委ねる。/すべての始まりに 不思議な力が宿る その力は私たちを守り 生きる助けとなる」。人生の新しい階段に、「不思議な力が働く」――この語り掛けを感謝して受け止めたいと思うのです。

 日本基督教団では、「隠退教師」と呼ばれるのですが、私はこれまで「引退」という言葉を使ってきました。「引退」と「隠退」の使い方を辞書でみると、「大辞林」にはこうあります。「引退」は「それまでついていた地位や役職を辞めること」。「隠退」は「一切の社会的仕事を辞め、静かに暮らすこと」と。私は「引退」したけれど「隠退」はしていない、まだ務めがある――そういう思いを抱いてきました。しかし、これからは「隠退」の言葉を使いたい。そういう段階に入ったのではないかと思うのです。

 ドイツのメルケル前首相が、ハーバード大学の卒業式に招かれて述べた祝辞を読みました。「すべての始まりに 不思議な力が宿る その力は私たちを守り 生きる助けとなる」とヘッセの詩を引用して、旅立つ学生たちを励ましています。そして「始まりと終わりの間に存在するものを人生や経験と呼ぶ」と語り、「何ができるか、自分で自分を驚かせよう」と鼓舞しています。

 私も、心身の衰えや親しい者との別れ、さらにロシア軍の残虐さを嘆くだけでなく、人生の新たな段階を受け入れて、残された時間を大事にしよう、と促される思いです。

 メルケル前首相はキリスト者です(メルケル著『わたしの信仰』新教出版社参照)。「すべての始まりには、不思議な力が働く」と言う時、彼女は神の導き、聖霊の風の促しを意識しているのではないでしょうか。

 「隠退」して、どう生きるのでしょう。主の温かい「不思議な力」に信頼して、老いを受け入れ、残されている能力をよく用い、すべてを味わい、感謝する――そういう前向きな暮らしをしてみたいと思うのです。

 「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」(イザヤ書43章19節=新共同訳)

 わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。

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