【映画評】 「第三者」だからこそ撮り得た視点 『百年と希望』 2022年7月1日

 参議院選挙の只中で上映中の映画『百年と希望』は、来月15日に創立100周年を迎える老舗政党の現在を、新しい世代の担い手を中心に描いた1年間の記録である。栄枯盛衰の激しい政治の世界で、愚直に護憲と平和を掲げてきた日本共産党の若き候補者、家族、支援者、機関紙「しんぶん赤旗」の編集部など、普段あまり見ることのできない「リアル」な内情を映し出す。

 2021年、明暗を分けた二つの選挙にも密着。 夏の東京都議会議員選挙で再選を果たした池川友一は、都議会で「ツーブロック」をはじめ理不尽なブラック校則について質問し脚光を浴びた。応援演説を買って出た美容師は、好きな髪型を選べない中高生に心を寄せつつ「何党だからとか関係ない」と雄弁に語る。2014年の初当選以来、2度目の当選をかけて衆院選に挑んだ池内さおりは、ジェンダー平等、性的マイノリティの権利擁護などに取り組み、新たな支持層からの期待を一身に背負うも落選。開票日翌朝の駅頭あいさつに立つその背中には、堪え切れない悔しさがにじむ。

 他方、雪の降りしきる寒空の下、まばらな聴衆に訴えかける候補者の姿は、接戦が繰り広げられた首都圏の熱狂とは様相が異なる。地元の支援者ですら、ハナから当選できるなど想像もつかない地方の現実が厳然とある。――「希望」などどこにあるのか。作中では「比例名簿の順位が平等ではない」「党の方針ではなく個人の言葉で伝えなければ伝わらない」との厳しい指摘にも耳を傾ける。おそらく党自らが作る宣伝目的のプロパガンダ映画なら、こうはならない。

 「保守王国」の富山県で生まれ育った西原孝至監督=写真上=は、もともと政治に関心を持っていたわけではない。ごく一般的な若者同様、「自らの1票で社会など変わらない」と、むしろ諦めの境地にいた。しかし、特定秘密保護法に抗議し、社会を変えようと自分の言葉で声を上げる年下世代の姿を見て衝撃を受ける。さらに集団的自衛権に関する閣議決定が決定打となり、『わたしの自由について〜SEALDs 2015〜』でメガホンをとるよう突き動かされた。

 以後、デモなとを通じて党と接点はあったが、コロナ禍で苦境を強いられるミニシアターを守ろうと「SAVE the CINEMA(セーブ・ザ・シネマ)」のプロジェクトに呼びかけ人として加わった折、同行してくれた議員が初めて頼もしく思えた。「誤解されている党の魅力、知られていない等身大の政治家の姿を伝えたい」との思いが、本作として結実した。

 テレビでも活動する西原監督は、日本のジャーナリズムを取り巻く現状について「権力を監視する役割を放棄したメディアは存在意義を失う」と強い危機感を募らせる。現在、脚本を執筆中の次回作は、そのテーマに挑む劇映画だという。「利益を生み出さない文化・芸術には価値がないというような新自由主義の考えにも異議を唱えていきたい」

 「ディレクターズノート」には、こんな一文がある。「映画で政治を扱うとき、映画そのものが政治性を帯びてしまう危険性は拭えない。私自身にも『左翼監督』『活動家』という批判は巻き起こるだろう。……しかしそれでも、私はこの映画を作りたいと思った。『こんな社会に誰がした?』と嘆く前に、私は『こんな社会でいいのか?』と声をあげたい。怒りを込めて。そう、私にとって映画をつくることは、私なりの、声をあげる方法なのだ。新しい自分になるのは簡単ではない。しかし、変わらないといけない。そのことを、いまの日本社会に、そして自分自身に突きつけたい。問われているのは、いつも、たった一人の〝私〟なのだから」

 変えていくのは次の世代。そして、変え得る力を持つのは「当事者」である党員や議員ではない、西原監督のような「第三者」の視点かもしれない。それはまさに、100年の間、形を変えながらも連綿と受け継がれてきた確かな希望の萌芽でもある。

  渋谷ユーロスペースほか全国順次公開中。

『百年と希望』
・監督・撮影・編集:西原孝至
・プロデューサー:増渕愛子
・製作・配給・宣伝:ML9
・配給協力:太秦 
 2022年/107分/カラー/日本
・公式サイト:100nentokibou.com

© ML9

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