【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 牧師か精神科医か 平山正実

Q.牧師に相談したら精神科への受診を勧められてしまいました。職務放棄ではないでしょうか。(30代・女性)

 ユダヤ・キリスト教の人間観によれば、人間を「からだ」(ソウマ=body)と「精神」あるいは「心」(プシュケ=soul)と「霊」(プネウマ=spirit)に分ける三分法(テサロニケの信徒への手紙一45章23節)と「からだ」と「霊」に分ける二分法があります。三分法の中の「精神」や「心」は二分法的な考え方によればからだ(自然的生命=ビオス)の中に吸収されていくと考えられます。

 現代医学の常識に従えば、精神や心を扱う分野は精神(傍点)科や心(傍点)療内科です。精神科医や心療内科医は精神や心を担うのだから、クリスチャンが多いかというとそのようなことはまったくなく、むしろ、宗教に対して批判的な医療者が多いように思います。彼らは精神や心の病は、自然的生命が病むのだから科学の対象とすべきであって、聖職者が介入すべきではないとする考え方を持っており、質問にある牧師さんもこうした意見に近いと言えるでしょう。

 特に病勢が進行して、自傷、他害行為に及ぶ可能性がある時は、専門家的な医療機関に委ねる必要があります。このように心や精神の癒しと霊の救いとは別の次元であるという知恵を持つことも大切です(ルカによる福音書17章11~18節)。

 しかし、ユダヤ・キリスト教の人間観においては、人間を部分に分割、区別してしまうのではなく一体的にとらえていこうとする考え方もあります。特に臨床現場で働いていますと、人間を身体的次元、精神(心理)的次元、社会的次元、スピリチュアルな次元に分けて考えるよりも、これらの各次元は、相互に深く関連し合っていると思われるケースにしばしば出会います。

 最近の医療の流れでは、全人的医療、チーム医療の重要性が指摘されるようになってきています。今後は患者の全人格を統合的に見据えながら、聖職者と医療者とがお互いに協力し合って心病む人たちの癒しと救いのために尽くすことが望ましいと思われます。

 ひらやま・まさみ 1938年、東京生まれ。横浜市立大学医学部卒業。東洋英和女学院大学教員を経て、聖学院大学子ども心理学科、同大大学院教授、医療法人財団シロアム会北千住旭クリニック理事長・院長、NPO法人「グリーフ・ケア サポート・プラザ」(自死遺族支援)特別顧問を歴任。精神保健指定医。著書に『精神科医からみた聖書の人間像』(教文館)、共著に『イノチを支える-癒しと救いを求めて』(キリスト新聞社)など。2013年、75歳で逝去。

連載一覧ページへ

連載の最新記事一覧

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘