川崎バプテスト教会 福音のつどいで「みんなのつくえ」紹介 「人助けは『善い』ことではなく当たり前」 2022年11月3日

 南小倉バプテスト教会牧師の谷本仰(あおぐ)氏を招いた「福音のつどい」が10月22日、日本バプテスト連盟川崎バプテスト教会(川崎市中原区)で開かれた(同教会主催)。南小倉バプテスト教会がこの数年、教会の軒先で食材や雑貨を提供し合うプロジェクト「みんなのつくえ(旧・どうぞのつくえ)」の活動をヴァイオリン演奏を交えながら紹介した。

 コロナ禍の最中、2020年4月に大量に送られてきたパンを教会の入り口に無料で置いたところ、数日でなくなったという経験が契機。その後、家族や教会員で持ち寄って「どうぞのつくえ」と称し、食材や物を実験的に置いてみると、驚くことに増えている。そして次は筍が、玉ねぎが匿名で置かれるようになった。その後も教会の玄関を開き続け、食材や物品を無料配布し続ければし続けるほど、誰かが匿名で食材の入った段ボールを置いてくれたり、SNSで知った人が教会宛てに大量の物資を送ってくれるようになった。2022年9月までに寄付された食品などの数は確認できるだけでも872件。

 谷本氏は、「『私』とは『渡し』でありお互いに与え、与えられる。それは特別なことではなく人間として当たり前のこと。助けを必要な人は、必要な助けを得ながら生きていくことが当たり前だと気付かされた」とし、「代償・有償の経済社会の中で、豊かさとは、どれだけ得たか、所有・私有したかではなく、どれだけ与えたのかということかもしれない。与えると人はなぜかとても嬉しくなる。受け取る側がいなければ与えることもできない。そんな当たり前の『渡す、与える』ということがなぜ特別なことになっているのか」と、当たり前に与えることを肯定できなくなってしまった現代社会の矛盾を指摘した。

 時には置いていた募金箱がなくなることもあった。しかし、そこで問われたのは「置いてあるお金を取らない」善い人を助けるのか。取る人は悪い人なのか、相手が誰であれ助けが必要な人は助けるべきではないかということを問われたという。募金箱はなぜか数時間後に空で戻ってきた。

 また谷本氏は、善きサマリア人の箇所を取り上げながら、実は「善い」という記述は聖書に一度も出てこない。誰かが勝手に「善い」ことだと決めてしまった。本当は倒れている人を助けるのは「善い」ことではなく、「当たり前」のこと。イエスは「善い人になりなさい」とは言っていないと指摘。

 教会のあり方についても触れ、「もはや教会内で献金を集めて地域のために何かをするほど余裕がなくなっている。むしろ地域やみんなのための教会作りと運営は、みんなに手伝ってもらえばよいのではないか」とし、南小倉バプテスト教会が2019年12月から「網の教会」サポーターの募集開始し、数年で3倍以上の献金が集まるようになったという事例も紹介。「そもそも命とは神様からの贈り物。人間らしく、他者をあてにする、新しい世界へと私たちが、教会が踏み出す時が来ている」と語った。

 「みんなのつくえ」に関する問い合わせは南小倉バプテスト教会(Tel 093・571・5072)まで。

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